「シェフィールド (駆逐艦)」の版間の差分

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'''シェフィールド''' ({{Lang-en|HMS ''Sheffield''}},D80) は[[イギリス海軍]]の[[42型駆逐艦]]の[[ネームシップ]]。1970年1月15日起工1971年6月10日進水1975年6月26日就役した。[[フォークランド紛争]]で戦没した
 
== フォークランド紛争 ==
=== 派遣 ===
1982年4月2日、NATOの演習「SPRINGTRAIN」に参加していたシェフィールド情勢急を告げていたフォークランドへの派遣部隊として抽出されることとなった。4月3日2時30分、第1艦隊司令官ウッドワード少将座乗のグラモーガンを含む他の7隻の艦艇および補給艦タイドスプリングとともにフォークランドに向かった。4月14日にアセンション島を出発し、4月15日からはフォークランド北方での哨戒活動にあたったのち、4月25日に本隊に合流して、以後は[[防空艦]]および[[レーダーピケット艦]]の任務についた<ref name="nids">{{Cite book|和書|editor=防衛研究所戦史研究センター|date=2014-3-31|title=フォークランド戦争史|chapter=第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争|pages=149-207|publisher=[[防衛省]][[防衛研究所]]|url=http://www.nids.go.jp/publication/falkland/pdf/011.pdf}}</ref>。
 
=== 攻撃までの推移 ===
5月4日、空母機動部隊はフォークランド諸島の南東40海里から50海里にあって、シェフィールドを含む3隻の42型駆逐艦は主隊の西18海里で防空任務にあたっていた。グラスゴーを主軸上として、「コヴェントリーが右に、シェフィールドが左に占位していた<ref name="nids"/>。なお、当時の海上模様は平穏、天候は曇り、視程は約1.5kmであった<ref name="藤木1991">{{Cite journal|和書|author=藤木平八郎|year=1991|month=5|title=シェフィールドとスターク 現代艦艇のダメコンを検証する|journal=[[世界の艦船]]|issue=436|pages=84-87|publisher=[[海人社]]}}</ref>。
 
1115Z時(0815L時)、アルゼンチン軍の[[P-2]]哨戒機が1隻の駆逐艦のレーダー波を逆探知し、ハーミーズがフォークランド諸島の東方にいると考えられたことから30分以内に[[エグゾセ|エグゾセAM39]][[空対艦ミサイル]]を1発ずつ搭載した[[シュペルエタンダール]][[攻撃機]]2機が[[リオ・グランデ (アルゼンチン)|リオ・グランデ]]基地を発進した。1400Z時、この編隊は3隻の42型駆逐艦を発見した<ref name="nids"/>。
 
1356Z時、グラスゴーの電波探知装置はシュペルエタンダールの機上レーダによる掃引3回を探知し、ただちに[[短波]](HF)および[[超短波]](UHF)通信によって僚艦に急報した。ただしこのとき、「シェフィールドのHF装置には要員が配されておらず、一方UHF装置はメッセージ全てを受信することができなかった。また、当時英海軍が採用していたSCOT衛星通信装置は、電波探知装置による探知を阻害する危険があったことから、グラスゴー艦長はSCOTの日中の使用を禁止していた。これに対し、「シェフィールドグラスゴーによる最初の探知の前からSCOTによる通信を行っており、このために電波探知装置からの警報を受けることができなかった。1358Z時、グラスゴーは目標を再探知して、敵味方不明機2つ、南西方向、25マイルと報告した。1400Z時直後、同艦では対空戦闘配置が下令され、チャフが発射された。このためにシュペルエタンダールは右に逸れて、シェフィールドを捕捉することになった<ref name="nids"/>。
 
当時、シェフィールドは哨戒第2配備の態勢であった。シュペルエタンダール(エグゾセ搭載可能)と[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]](エグゾセ搭載不能、通常爆弾のみ)の機上レーダの信号パターンはよく似ており、実際、これまでに何回も取り違えによる誤警報があったことから、シェフィールドインヴィンシブルの対空戦調整室では、今回もミラージュIIIであろうと判断していた。このためもあり、シェフィールドでは対空戦担当幹部のみならず、その班8名のうち3名が部屋を出ていた。グラスゴーからの通報によって作戦室の警戒レベルは上がっていたが、対空戦担当幹部が部屋に戻ったとき、既に適切な行動をとる猶予は残されていなかった。SCOT衛星通信装置の送信中止処理には時間がかかり、まだ送信動作は続いていた。命中の15秒前、艦橋の当直士官が2つの煙を視認したが、最後までエグゾセAM39ミサイルの飛来は理解されず、ソフトキル・ハードキルのいずれも試みられることはなかった<ref name="nids"/>。
 
シュペルエタンダールは計2発のエグゾセAM39ミサイルを発射したが、うち1発は海面に突入した。残り1発のミサイルは順調に飛行を続け、1403Z時(1103L時)、シェフィールドに命中した。シュペルエタンダールは命中を確認して旋回し、無事帰投したとされているが、実際にはミサイルの命中は確認できず、戦果確認(BDA)はイギリス側報道によって行ったともされている<ref name="nids"/>。
 
=== 被弾後 ===
エグゾセAM39は、「シェフィールドの艦橋後方右舷の水線上約1.8メートルの位置に命中、入射角60度で艦内に突入した。弾頭は爆発することなく右舷通路、調理室、前部補機室を経て前部機械室に達したが[[固体燃料ロケット]]は燃焼を続けており、機械室内の潤滑油や燃料にも引火して大火災を生じた<ref name="岡田1997">{{Cite book|和書|author=岡田幸和|year=1997|title=艦艇工学入門|chapter=損傷艦艇の被害状況と応急対策|publisher=海人社|isbn=978-4905551621|pages=271-296}}</ref>。
 
本艦シェフィールドでは発電機・消火ポンプは前後区画に配置されていることから、今回の例のように前部機械室・補機室が機能喪失した場合でも、後部の機械室・補機室によって艦の機能は最低限維持できる見込みであった。しかしアルミ合金製の通風トランクや仕切弁が溶解してしまい、電纜を介した延焼もあって火災は他区画へ拡大し、後部機械室・後部補機室の機能も順次に失われた。電纜類の被覆などの燃焼によって有毒ガスが発生し、また被弾後約30分で電源が失われたこともあって、消火活動は大きく阻害された。4基の消防ポンプはすべて機械室に配置されており、命中した時点で作動していた2基は衝撃によって停止した。このうち1基は再起動に成功したが、もう1基は再起動できず、また再起動できた1基もまもなく機能を喪失した。残る2基のうち1基は最初から故障状態、もう1基も始動できなかった。これにより、消防主管の圧力は失われてしまった。代替になるかもしれなかったローヴァー製の可搬式ガスタービンポンプは性能的に全く不十分であった<ref name=OCC>{{Cite web|author=Office of Commander-in-chief, fleet |date=1982-05-28|url=https://clashofarms.com/files/BOI_Rpt_HMS_Sheffield_May82.pdf|title=Loss of HMS Sheffield|format=PDF |language=英語|accessdate=2016/07/24}}</ref>。このため、バケツにロープをつけて海水を汲み上げて消火用水として使ったという逸話もある。また、艦橋付近の被弾によって通信線が断絶し、指揮機能が低下したことも初期消火活動に悪影響であった可能性が指摘されている<ref name="藤木1991"/><ref name="岡田1997"/>。
 
被弾から約5時間後にフリゲート[[アロー (フリゲート)|アロー]]が、ついで[[ロスシー級フリゲート|ヤーマス]]<ref name="nids"/>が救援に到着し外部からの注水も行われた。しかし艦体は鋼製であったものの隔壁はアルミ合金製であり、また木製家具類の焼失もあって火災範囲は最終的に艦内の約2/3に達した。シェフィールド自身の消火活動はほとんど遂行不能となり<ref name="岡田1997"/>、前部のシーダート弾薬庫に誘爆の恐れが生じたことから2100Z時(1800L時)、総員退去が下令された<ref name="藤木1991"/>。最終的にシェフィールドの乗員260名中、死者・行方不明者20名、負傷者24名であった<ref name="藤木1991"/>。
 
シェフィールドの火災は2日間続いたのち鎮火したが、[[アセンション島]]への曳航途上で荒天に遭遇、破孔からの浸水が拡大し5月10日0700Z時ごろ南緯53度04分、西経56度56分で沈没した<ref name=OCC/>。
 
== 参考文献 ==