「ウェディングドレス」の版間の差分

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元来、世界の諸民族・諸文化には独自の結婚装束があったが、西洋文化の世界的拡散によりウェディングドレスが広く普及し、従来のものを圧倒している例も見られる。例えば、東アジア文化圏においては白は[[死に装束|死装束]]の色であり、本来は忌み嫌われ、慶事には避けられたが、西洋文化の流入と共に、(従来から[[白無垢]]が用いられていた)日本はもちろん、中国・韓国・台湾などでも純白のウェディングドレスが好まれるようになっている。
 
日本では、[[1873年]]に[[長崎市|長崎]]で磯部於平(いそべ おつね)という女性が中国人と結婚した際に初めてウェディングドレスを着用し、2年後に[[森有礼]]も西洋式の結婚式を行なったが、当時の日本にはウェディングドレスはなく、国外から購入したものであった。その後も洋式の結婚式はごく一部の著名人に限られた。一般向けとしては、[[1929年]]の婦人雑誌に洋装花嫁としてウェディングドレスを紹介する記事が出たのを嚆矢とするが、当時の結婚式は神前式・人前式が絶対多数で、普及は成らなかった。[[第二次世界大戦]]後は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]文化の流入で一般にも知られるようになったが、ウェディングドレスの絶対数が少なく、洋装での挙式を受け入れる体制が不充分だったこともあり、[[1960年]]頃でもウェディングドレスの利用者は全体の3%程度であった。しかし西洋文化への根強い憧憬、服装をはじめとする生活様式の洋風化、また和装の花嫁衣装に比べて廉価で着用も容易であるなどの利点があり、一方で[[桂由美]]・エマ理永(旧名[[松居エリ]])・西村有紀子などの卓越した[[ファッションデザイナー|トップデザイナー]]により供給側の充実も図られ、[[1960年代]]後半から[[1980年代]]にかけて急速に普及して和装を圧倒し、花嫁衣装の主流を占めるに至った。1974年には、フランスの[[プロニプシア]](PRONUPTIA PARIS)などの海外ウェディングドレスブランドも参入してきた。
 
== 諸相 ==
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