「クリーブランド (オハイオ州)」の版間の差分

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[[ファイル:Cuyahoga mouth.jpg|right|thumb|250px|カヤホガ川河口、[[1920年]]。この頃には既に川の両岸に工場が建ち並び、工業地を形成していた。]]
 
[[1920年|1919年]]にはクリーブランドは796,841人の人口を抱え、[[ニューヨーク]](5,620,048人)、[[シカゴ]](2,701,705人)、[[フィラデルフィア]](1,823,779人)、[[デトロイト]](993,678人)に次ぐ全米第5の都市になった<ref name=Timeline />。この頃、市は全国的に起こっていた革新運動の中心地で、地元では市長トム・L・ジョンソンを筆頭として運動が起こっていた。第20代大統領[[ジェームズ・ガーフィールド]]をはじめ、この頃のクリーブランドの多くの著名人は市の東に位置する、歴史的な[[レイクビュー墓地]]に埋葬されている<ref>[http://www.findagrave.com/php/famous.php?page=cem&FScemeteryid=41762 Lake View Cemetery]. ''Find A Grave''. Findagrave.com.</ref>。[[1936年]]と翌[[1937年]]の夏には、クリーブランド市制施行100年を記念して、エリー湖畔でグレート・レイクス博覧会が開催された。[[世界恐慌]]で大打撃を受けた市をよみがえらせると思われたこの博覧会は1936年の第1シーズンには400万人を、1937年の第2シーズンには700万人を動員した<ref>[http://ech.case.edu/ech-cgi/article.pl?id=GLE Great Lakes Exposition]. The Encyclopedia of Cleveland History. Case Western Reserve University. Cleveland, Ohio, United States.</ref>。会場跡地には、現在では[[グレート・レイクス科学センター]]([[1996年]]開館)や[[ロックの殿堂]]([[1995年]]開館)などが建ち、バーク・レイクフロント空港にも利用されている<ref>Porter, Philip. [http://www.clevelandmemory.org/SpecColl/porter/Chapt06.html Cleveland: Confused City on a Seesaw]. Ch.6. pp.106-107. Ohio State University Press. Columbus, Ohio, United States. 1976年. ISBN 0-8142-0264-0.</ref>。
 
[[第二次世界大戦]]の終戦直後、クリーブランドはしばしの間ブームになった。スポーツにおいては、[[クリーブランド・インディアンス]]が[[1948年のワールドシリーズ]]で28年ぶり2度目のワールドチャンピオンに輝いた。[[1950年代]]には、[[クリーブランド・ブラウンズ]]が黄金時代を謳歌していた。実業界においては、クリーブランドは「全米で最も良い地」とされた<ref>[http://ech.case.edu/ech-cgi/article.pl?id=CEIC Cleveland Electric Illuminating Co.] Encyclopedia of Cleveland History. Case Western Reserve University. Cleveland, Ohio, United States. 1997年6月14日.</ref>。[[1949年]]には、クリーブランドは同年に始まったオール・アメリカ・シティ賞の第1回受賞都市に選ばれた<ref>[http://www.ncl.org/aac/past_winners/past_winners_1950s.html Past Winners of the All-America City Award]. National Civic League.</ref>。[[1950年]]には市の人口は914,808人でピークに達し、全米でも第7の規模であった。
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クリーブランドのシンボルであるターミナル・タワーは、[[1930年]]に完成した[[エコール・デ・ボザール|ボザール]]様式の超高層ビルである。52階建て、高さ216mのこのビルは[[1967年]]までは[[ニューヨーク]]以外では最も高く、また[[1991年]]まではクリーブランドで最も高いビルであった<ref>Toman, James and Cook, Daniel. ''Cleveland's Towering Treasure''. The Tower. pp.76. Cleveland Landmarks Press. Cleveleand, Ohio, United States. 2005年. ISBN 0-936760-20-6.</ref>。その名が示す通り、ターミナル・タワーは当時鉄道のターミナルであったユニオン駅の真上に建てられたビルであった。現在では駅としての機能は[[クリーブランド地下鉄|RTA]]のターミナルとしてのみに限られている。このターミナル・タワーと周囲のホテルやショッピングモールをあわせて[[タワー・シティ・センター]]という複合施設になっている。ターミナル・タワーよりも後に立てられた超高層ビルとしては、[[1991年]]に完成し、全米16位、オハイオ州では最も高い建物であるキー・タワー(57階建て、289m)や、ダウンタウンの立て直しが始まった頃、[[1981年]]に完成したBPビル(45階建て、201m)がある{{efn2|BPビルは、当初はターミナル・タワーよりも高い建物となる計画であったが、市当局はそれを認可しなかったため、ターミナル・タワーよりも低くなるように再設計されたうえで建設された。}}。これらの超高層ビルは[[ポストモダン建築]]をベースにし、[[アール・デコ]]の要素を取り入れている。[[1890年]]に建てられたビクトリア様式のクリーブランド・アーケードは、オールド・アーケードとも呼ばれる、ダウンタウンに残る歴史的建築物のひとつである。クリーブランド・アーケードは[[2001年]]に改装され、ハイアット・リージェンシー・ホテルとして再生した<ref>[http://www.thearcade-cleveland.com/ The Arcade: A Cleveland Classic].</ref>。
 
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ファイル:Tower City Center.jpg|タワー・シティ・センター。中央左寄りの超高層ビルがターミナル・タワー。
ファイル:Key tower.jpg|キー・タワー