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戦後、筆名を'''內田 百閒'''と改める。別号は'''百鬼園'''(ひゃっきえん)。
「百閒」は、故郷岡山にある[[旭川 (岡山県)|旭川]]の緊急放水路である[[百間川]]から取ったもの。別号の「百鬼園」を「借金」の語呂合わせ戦時中、[[中里介山]]ととする説もあるが、に[[日本人は一応文学報国会]]への加入を拒んだこところ否定しでも知られている<ref>http://www.sanyonews.jp/article/848703</ref>。{{要出典|date=2017年1月15日 (日) 05:59 (UTC)}}
迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ[[随筆]]などを得意とした。後輩の[[芥川龍之介]]に慕われたほか<ref>[[芥川龍之介]]「[http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4312_33645.html 内田百間氏]」『芥川龍之介全集 第十五巻』[[岩波書店]]、1997年1月。</ref>、師である夏目漱石の縁故から[[夏目伸六]]と親交が深かったことでも有名{{要出典|date=2017年1月15日 (日) 05:59 (UTC)}}。
== 年譜 ==
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