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精神的、政治的に主柱であった孫文没後の国民党は混迷し、孫文の片腕だった[[廖仲ガイ|廖仲愷]]は暗殺され<ref name="amako2004p65">[[#天児2004|天児 2004]], p.65</ref>、孫文の妻の宋慶齢は国民党を去り、蒋介石と汪兆銘は対立、最高顧問ボロディンは解雇されるなどした。以降、蒋介石が権力基盤を拡大する。
 
孫文の死後に[[上海]]で発生した[[五・三〇事件]]を背景にして、汪兆銘は[[広東省|広東]][[国民政府]]を樹立。[[1926年]]7月には、約10万の[[国民革命軍]]が組織される<ref name="amako2004p65" />。総司令官には蒋介石が就任し、孫文の遺言でもあった[[北伐 (中国国民党)|北伐]]を開始した。
 
[[1927年]]、蒋介石の[[上海クーデター]]により国共合作は崩壊。国民党は北伐を継続し、[[1928年]][[6月9日]]には北京に入城し、[[北京政府]]を倒すことに成功した。