「カリビアンシリーズ」の版間の差分

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キューバ球界には、バティスタ支持者もいれば反バティスタ派もいた。[[ペドロ・フォルメンタル]]は、バティスタが設立した[[単一行動党]]の選挙運動に協力するほど、熱烈なバティスタ支持者だった<ref name="formentalbio" />。バティスタは1952年の大統領選挙に立候補するが、三つ巴の選挙戦では[[ロベルト・アグラモンテ]]や[[カルロス・エビア]]と比べ、支持が伸び悩んでいた。そこで3月、バティスタは[[キューバ・クーデター (1952年)|クーデター]]を起こして強引に権力を奪取する。球界では[[マーティン・ディーゴ]]が、これに反発しキューバを出国した<ref name="mdihigobio">[[:en:Peter C. Bjarkman|Peter C. Bjarkman]], "[https://sabr.org/bioproj/person/dc4b7b28 Martin Dihigo]," ''Society for American Baseball Research'', 2016. 2019年4月17日閲覧。</ref>。1953年2月、カリビアンシリーズの[[1953年のカリビアンシリーズ|第5回大会]]がキューバの[[ハバナ]]で開催された。この大会に、フォルメンタルはキューバ代表[[レオネス・デル・ハバナ]]の一員として出場して25打数14安打を記録し<ref name="jirirhythm" />、ディーゴは[[ベネズエラ]]代表[[レオネス・デル・カラカス]]の監督として参加した<ref name="mdihigobio" />。ディーゴはキューバ出国後にメキシコでゲバラと知り合い、のちカストロやゲバラらがプレジャーボート "[[グランマ号]]" でメキシコからキューバへ乗り込む際には資金援助した<ref>Bruce Brown, "[https://www.theatlantic.com/past/docs/issues/84jun/8406brown.htm Cuban Baseball]," ''[[:en:The Atlantic|The Atlantic]]'', June 1984. 2019年4月17日閲覧。</ref>。カストロらがバティスタ政権を打倒すると、ディーゴはキューバへ戻り、1971年に亡くなるまでキューバで暮らした<ref name="mdihigobio" />。一方、フォルメンタルはバティスタ政権崩壊後に出国し、一時は[[スペイン]]で生活したあと、アメリカ合衆国[[オハイオ州]]で1992年に死去した<ref name="formentalbio" />。
 
カストロ一派の攻勢が激化した1958年、[[ハバナ・シュガーキングス]]は安全確保の観点から本拠地移転を勧められた。候補地にはアメリカ合衆国[[フロリダ州]][[キーウェスト]]や[[ドミニカ共和国]]の首都シウダートルヒーヨ(現在の[[サントドミンゴ]])が挙げられたが、[[ボビー・マドゥロ]]は「キューバにとって野球は[[宗教]]みたいなもので、政治は関係ない」と拒否し、ハバナに留まった<ref name="bmadurobio" />。カストロ一派が政権を奪取すると、マドゥロは「シュガーキングス設立から5年経って初めて、平和で安全な環境のもとに球団運営ができそうだ」と前向きな見通しを述べた<ref>John Cronin, "[https://sabr.org/research/when-dream-plays-reality-baseball-roberto-maduro-and-inter-american-league When a Dream Plays Reality in Baseball: Roberto Maduro and the Inter-American League]," ''Society for American Baseball Research'', 2011. 2019年4月21日閲覧。</ref>。しかし1959年7月26日未明、ハバナの安全性に疑問符を投げかける事件が発生する。シュガーキングスと[[ロチェスター・レッドウイングス]]の試合中に複数のファンが[[銃]]を発砲し、流れ弾の1発がレッドウイングスの[[フランク・バーディ]]が被っていた[[打撃用ヘルメット|ヘルメット]]を、もう1発がシュガーキングスの[[レオ・カルデナス]]の右肩を直撃した<ref name="dacredwings">Sean Lahman, "[https://www.democratandchronicle.com/story/news/2014/12/18/red-wings-last-baseball-team-cuba/20600617/ Red Wings were last U.S. team in Cuba before embargo]," ''[[:en:Democrat and Chronicle|Democrat and Chronicle]]'', November 28, 2016. 2019年4月21日閲覧。</ref>。元々この試合は前日に始まり、[[延長戦]]に突入していた。午前0時を過ぎて7月26日になった途端、モンカダ兵営襲撃6周年を祝すために球場内外のファンが銃で[[祝砲]]をあげ始めた。この騒ぎはいったん収まり試合が再開されたものの、12回表終了時に再び複数の銃弾が発射され、これがふたりに直撃した<ref>Tyler Maun / MiLB.com, "[https://www.milb.com/milb/news/minor-league-baseball-left-cuba-after-revolutionary-uncertainty/c-219279574 The Minor Leagues' last nights in Havana / 1959 incident was first domino to fall in affiliated ball's exit from Cuba]," ''MiLB.com'', March 16, 2017. 2019年4月21日閲覧。</ref>。ふたりとも命に別状はなかったものの、[[インターナショナルリーグ]]はこの事件を受け、キューバ当局が公式に謝罪するまでハバナでの試合開催を中止した<ref name="dacredwings" />。
 
カストロ新政権とアメリカ合衆国との関係もぎくしゃくしていった。カストロは、[[親米]]のバティスタ政権を打倒したからといって、当初から[[反米]]を標榜していたわけではない。1959年4月には訪米し、[[アメリカ合衆国上院|連邦議会上院]]の[[アメリカ合衆国上院外交委員会|外交委員会]]にて、キューバ国内のアメリカ資産を接収しないと宣言している<ref>{{Harvnb|ハルバースタム|2015}}、296-297頁。</ref>。[[中央情報局]](CIA)内部でもカストロに好意的な評価を与える者が多く、ある担当官はこの訪米時と翌5月にカストロと面会したのち、彼のことをラテンアメリカの「民主的で反独裁勢力の新しい精神的指導者」と表現した<ref name="weinercia">{{Harvnb|ワイナー|2011}}、283頁。</ref>。しかし11月には、カストロ政権は穏健派に代わって[[共産主義|共産主義者]]が多数を占める顔ぶれとなり、[[冷戦|アメリカ合衆国と対立]]する[[ソビエト連邦]]の通商代表団を歓待するなど、左傾化が顕著になった<ref>{{Harvnb|ハルバースタム|2015}}、301-302頁。</ref>。12月にはCIAがカストロの「キューバからの除去」を目指す方針を決めた<ref name="weinercia" />。1960年3月4日、[[フランス]]船籍の蒸気貨物船 "ラ・クーブル号" がハバナの港で弾薬の荷降ろし中に爆発事故を起こすと、カストロは証拠がないにもかかわらずアメリカ合衆国の仕業と決めつけ、これがきっかけで両国関係の亀裂は決定的になった<ref>{{Harvnb|ハルバースタム|2015}}、302頁。</ref>。同月中旬、[[アメリカ合衆国大統領]][[ドワイト・D・アイゼンハワー]]はCIAの秘密工作計画に承認を与えた<ref>{{Harvnb|ワイナー|2011}}、283-287頁。</ref>。
 
両国間系が緊迫するなか、インターナショナルリーグは1960年7月9日、シュガーキングスをハバナからアメリカ合衆国[[ニュージャージー州]][[ジャージーシティ]]へ移転させると発表した<ref name="bmadurobio" />。[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[クリスティアン・アーチボルド・ハーター]]から球界に、キューバから球団を撤退させるよう圧力がかかっていたという<ref name="dacredwings" />。マドゥロは「この決定は大きな過ちだ。野球がキューバとアメリカの人々を強く結びつけてきたのに」と批判し、シュガーキングスの一部キューバ人選手たちも抗議したが、決定は覆らなかった<ref name="bmadurobio" />。シュガーキングスの本拠地球場であり[[1953年のカリビアンシリーズ|第1回カリビアンシリーズ]]開催地でもあったグラン・エスタディオ・デル・セロ(のちの[[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]])では、8月6日にカストロが「[[アメリカ帝国|ヤンキー帝国主義]]には残念なお知らせだ」と、キューバ国内のアメリカ企業26社を[[国有化]]すると宣言した<ref>Sigfredo Barros Segrera, "[http://www.granma.cu/deportes/2016-10-25/el-latino-cumple-70-anos-25-10-2016-22-10-31 ¡El Latino cumple 70 años!]," ''Granma'', 25 de octubre de 2016. 2019年4月21日閲覧。</ref>。
 
=== 大会再開後 ===
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* {{wikicite|ref={{SfnRef|石原|2013}}|reference=[[石原豊一]] 『ベースボール労働移民――メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』 [[河出書房新社]]〈[[河出ブックス]]〉、2013年、ISBN 978-4-309-62454-9。}}
* {{wikicite|ref={{SfnRef|佐山|1994}}|reference=[[佐山和夫]] 『黒人野球のヒーローたち 「ニグロ・リーグ」の興亡』 [[中央公論新社|中央公論社]]〈[[中公新書]]〉、1994年、ISBN 4-12-101176-7。}}
* {{wikicite|ref={{SfnRef|シマンスキー他|2006}}|reference=ステファン・シマンスキー / [[:en:Andrew Zimbalist|アンドリュー・ジンバリスト]] 『サッカーで燃える国 野球で儲ける国――スポーツ文化の経済史』 [[田村勝省]]訳、[[ダイヤモンド社]]、2006年、ISBN 4-478-22004-2。}}
* {{wikicite|ref={{SfnRef|ハルバースタム|2015}}|reference=[[デイヴィッド・ハルバースタム]] 『ザ・フィフティーズ 3――1950年代アメリカの光と影』 [[峯村利哉]]訳、[[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉、2015年、ISBN 978-4-480-43287-2。}}
* {{wikicite|ref={{SfnRef|ワイナー|2011}}|reference=[[:en:Tim Weiner|ティム・ワイナー]] 『CIA秘録 上 その誕生から今日まで』 [[藤田博司 (ジャーナリスト)|藤田博司]] / [[山田侑平]] / [[佐藤信行 (ジャーナリスト)|佐藤信行]]訳、[[文藝春秋]]〈[[文春文庫]]〉、2011年、ISBN 978-4-16-765176-3。}}
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