「花田虎上」の版間の差分

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* もともと角界には入るつもりはなかったが、弟を守る壁になれと両親に迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した<ref name="20141120466+45464">花田虎上 横綱昇進断るつもりだった…角界入りは貴乃花守るため両親に強いられた デイリースポーツ 2014年11月20日(木)12時21分配信</ref>。
* 現役時代はアメリカ文化に憧れていたため武蔵丸にアメリカ文化を教えてほしいと思っていたが、情が移るといけないので現役時代は私的な交流はなかった<ref name="number2019022836">Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p36</ref>。
* 1998年5月場所千秋楽で白星を挙げて横綱昇進を決めた時も嬉しくないと思い、むしろ「横綱になっても横綱相撲は取れない」「辞めるしかない」と不安にまみれていた<ref name="number2019022836" />。場所終了後に入門時の約束どおり横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464" />、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言って入門時まま約束どおりに引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464" />、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464" />。以来、相撲を辞めたいと言う度に、引退3日前まで二子山は殴って諌めたという<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20180317/sum18031706470008-n1.html 花田虎上氏、弟・貴乃花との優勝決定戦の質問に「八百長してないです。僕は死んでもしません」] SANSPO.COM 2018.3.17 06:47(産経新聞社、2018年3月17日閲覧)</ref>若乃花は1998年5月場所千秋楽で白星を挙げて横綱昇進を決めた時も嬉しくないと思い、むしろ「横綱になっても横綱相撲は取れない」「辞めるしかない」と不安にまみれていた<ref name="number2019022836"/>。
** 現役を引退したその日から3日程度原因不明の高熱が自身を襲い、震えによって部屋から出られなかったほどであった。急激に体重が20㎏も減少したが、場所後の最後の巡業には引退した身でありながら横綱土俵入りだけを行い、急遽曙が太刀持ちを、武蔵丸が露払いを行った<ref name="number2019022838">Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p38</ref>。
* 2000年3月場所、現役最後の対戦相手は奇しくも明大中野高校の後輩でもある、[[栃東大裕]]だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目[[玉春日良二|玉春日]]戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
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* 2007年に花田美恵子と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『[[女性セブン]]』(2007年10月18日号)にて離婚に至る経過を語っている。なお4人の子供の[[親権]]は美恵子元夫人が持つこととなった。数日後美恵子元夫人の不特定多数との不倫行為が報道される<ref>美恵子の不倫行為の相手として報じられたのは[[青木堅治]]。</ref>。これが離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071022-272987.html 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧]</ref>。
 
* 2008年に再婚した倉実夫人について結婚直後の『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW|週刊えみぃSHOW]]』で司会の上沼に「タレントでいうと誰?」と問われ、花田は女優の[[国仲涼子]]に似ていると答えている。最低3年は裏方として修行の意味でテレビ出演はしないとマスコミ出演を拒んできかったが、[[2012年]][[9月25日]]放送の『[[ザ・追跡スクープ劇場|ザ・追跡スクープ劇場4]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])でテレビに初出演。以来、夫や[[姑]]である藤田紀子とともにテレビ共演することも少なくなかった。
 
* 2017年11月場所に発覚した日馬富士による貴ノ岩への暴行事件に関しては、11月14日の[[Facebook]]で「これが本当であれば協会が判断するうんぬんではなく刑事事件として警察に任せる程の事だと私は思いました」と発言して以来、一貫して被害者の貴ノ岩の師匠としての弟の立場に理解を示す発言をしている。「憶測が憶測を呼び何が真実かわからなくなっている今、被害者が何も発言していない今、当事者でない私が何を話しても説得力がない」(11月23日)として、当初は週刊誌やテレビなどのマスコミへ取材には応じない意向を表明していた<ref>{{Cite news|title=花田虎上、日馬富士暴行問題でコメントしないと表明|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20171123/sum17112321210021-n1.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=サンスポ}}</ref>。ところが騒動が沈静化せず、芸能界の仕事で世話になっている[[上沼恵美子]]の要請を受けたため、12月10日に「[[上沼・高田のクギズケ!]]」に出演した。この時も「この問題に関しては(貴乃花は)被害者側だと思うんです」と発言している<ref>{{Cite news|title=花田虎上氏、弟・貴乃花親方は「この問題に関しては被害者側だと思う」|date=2017-12-10|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20171210-OHT1T50112.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。