「桓公 (魯)」の版間の差分

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[[紀元前712年]]に魯の隠公が殺された後、翌[[紀元前711年]]に即位。18年の在位の間、賢臣として知られる公族の[[臧孫達]](臧哀伯。[[孝公 (魯)|孝公]]の孫)を登用して魯を治めるが、紀元前694年に斉国で不慮の死を遂げてしまう。
 
『[[春秋左氏伝]]』の記載によると、桓公が夫人の[[文姜]]とともに斉国を訪問したとき、斉の[[襄公 (斉)|襄公]](姜諸児)が文姜と姦通した(文姜は襄公の妹であった)。それを知った桓公は、文姜と襄公を指弾するが、逆に襄公の怒りを買ってしまい、同年夏4月10日、襄公が桓公の馬車に同乗させた[[彭生|公子彭生]]によって、桓公は車上で暗殺された<ref>[[劉向]]『[[列女伝]] 3』([[平凡社]]、2001年)169ページ ISBN 978-4-582-80689-2</ref>。これに憤激した魯国が斉国に圧力を加えると、襄公は公子彭生に全責任を押し付けて処刑し、責任を回避した。
 
==家庭==