「ウェイファインディング」の版間の差分

 1980年代に入ると、ナイノア・トンプソン率いる「ホクレア」が実験航海と先住民の権利回復運動の分野で華々しい実績を上げ、ナイノア・トンプソンが「スター・ナヴィゲーション」の象徴として英語メディアに登場するようになる。
 
 1990年代になると、文化英雄として揺るぎない地位を築いたナイノア・トンプソンの語るソフトな[[エコロジー]]は、[[ニューエイジ]]の思想家・活動家からも注目を集め、日本でも[[星川淳]](翻訳家・現[[グリーンピース]]日本事務局長)や[[龍村仁]](映画監督)、[[内田正洋]](アウトドアライター)らがナイノア・トンプソンに接近してゆく。一方でナイノア・トンプソンと「ホクレア」の存在があまりにも巨大化した為、ルイスやファインバーグ、秋道らの研究は殆ど顧みられなくなる。この流れは2000年代に入るとさらに加速し、折からのハワイ・ブームや[[ロハス]]・ブームともリンクして、「スター・ナヴィゲーション」を巡る言説は完全にナイノア・トンプソンと「ホクレア」が中心となる
 
 この流れは2000年代に入るとさらに加速し、折からのハワイ・ブームや[[ロハス]]・ブームともリンクして、「スター・ナヴィゲーション」を巡る言説は完全にナイノア・トンプソンと「ホクレア」が中心となる。またハワイのレジェンドサーファーの一人、[[タイガー・エスペリ]]が数年間鎌倉市に居住して現代ハワイの航海カヌー文化復興運動を紹介し、いわゆる[[湘南]]地域で航海カヌーを建造しようという動きが見られるようになる。この動きを主導したのは前出の内田正洋であったが、資金面の問題もあって計画は暗礁に乗り上げた。一方、同じ湘南地域を活動拠点とするアウトリガー・カヌー・クラブ・ジャパンは内田らの計画とは別に航海カヌー建造を計画し、[[荒木汰久治]]を中心として2006年に「海人丸(うみんちゅまる)」と名付けられた双胴の航海カヌーを沖縄で完成させた。
 
 
 荒木らは2006年4月から7月にかけ、沖縄島から九州島までの間をこの「海人丸」を用いた「スター・ナヴィゲーション」による航海に挑戦し、これを成功させている。この時の航法担当者は荒木であった。荒木は前出のナイノア・トンプソンとも親交を持っているが、航法を行った海域がナイノアの知るポリネシアとは全く異なる為、ナイノア流の近代ウェイファインディングをそのまま流用したわけではないようである。
 
 
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