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== 遺品の甲冑について ==
『決定版 図説・戦国甲冑集』([[学習研究社]]、2003年)に「森蘭丸所用」とされる[[当世具足|伊予札胴具足]]が掲載されているが、この具足は日本甲冑史学研究会会長の[[井伊達夫]](当時中村姓)が彦根で発見して川越の[[古美術商]]奥平長良に譲ったものであり、両人とも名前を公表することを承知した上で「真実を記しておかないと誤ったことが歴史事実のようになる」、「発見当時には名号の前立なども存在しなかった」と成利所用のものであることをはっきりと否定している<ref>{{Cite book|和書|author = 井伊達夫|origyear = 2007|year = 2011|title = 赤備え-武田と井伊と真田と|edition = 普及版|publisher = [[宮帯出版社]]|page = 39}}</ref>。また、この具足を修理した[[甲冑師]]の[[明珍宗恭]]も、同様に成利の用いた品ではないという趣旨の発言をしている<ref>{{Cite book|和書|author = 石田謙司|year = 2007|title = 甲冑師・明珍宗恭と語る-黒沢明が愛した最後の職人|publisher = [[小学館スクウェア]]|page = 51}}</ref>。なお、明珍は付随する兜は自身で別に手に入れて鎧に合わせたとも語っているが、前出の井伊達夫によれば具足は一領分揃っており、兜を他から取り合わせたと言うのは明珍の記憶違いであるとしている<ref>{{Cite book|和書|author = 井伊達夫|year = 2016|title = 戦国甲冑うらばなし|publisher = [[甲冑同考会]]|page = 70}}</ref>。
 
== 遺品の槍について ==
兵庫県赤穂市の大石神社に、森蘭丸所用の槍が伝わっている。
元は浅野家断絶後に転封された森家の所持、後に森家藩祖と蘭丸を祀る赤穂神社に神宝として伝来、前後赤穂神社が大石神社に合祀されたため、大石神社の所蔵となる。宝物殿で公開されている。
 
== 森成利を題材とした作品 ==