「天孫降臨」の版間の差分

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[[ファイル:Takachiho-gawara Kirishima City Kagoshima Pref04n4050.jpg|thumb|[[高千穂河原]]の天孫降臨神籬斎場]]
{{神道}}
'''天孫降臨'''(てんそんこうりん)とは、[[日本神話]]において、'''天孫'''の[[ニニギ|邇邇藝命]](ににぎのみこと)が、[[天照大御神]]の'''[[神勅]]'''を受けて[[葦原中国|葦原の中つ国]]を治めるために[[高天原]]から[[日向国]]の[[熊|襲]]<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E8%A5%B2-55947 |title=熊襲 くまそ |publisher=[[コトバンク]] |author=[[小学館]] [[大辞泉]] }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%A5%B2%E5%9B%BD-554978 |title=襲国 |publisher=[[コトバンク]] }}</ref>の[[高千穂峰]]へ天降(あまくだ)ったこと。
 
邇邇藝命は[[天照大御神]]から授かった[[三種の神器]]をたずさえ、[[天児屋命]](あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、[[高天原]]から地上へと向かう。途中、[[猿田毘古神]](さるたひこのかみ)が案内をし、邇邇藝命は[[筑紫]]の[[日向国|日向]](ひむか)の襲の[[高千穂]]に降り立ったという、『[[記紀]](古事記と日本書紀)』に記された[[日本神話]]である。
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== 考察 ==
日本書紀に「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」とあるが、この「襲」については、同じく日本書紀の景行天皇13年5月条に、「襲国平定」と記されてある。「襲国(曽国)」とは古代の南九州に居住した[[熊襲]] (球磨贈於) といわれ、後に[[隼人]]と呼ばれた人々の本拠地とされる<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E8%A5%B2-55947 |title=熊襲 くまそ |publisher=[[コトバンク]] |author=[[小学館]] [[大辞泉]] }}</ref>。現在の[[鹿児島県]][[霧島市]]・[[曽於市|曽於(そお)市]]を中心とする地域にあたる<ref>{{Cite book |和書 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%A5%B2%E5%9B%BD-554978 |title=襲国 |publisher=[[コトバンク]] }}</ref>
 
[[谷有ニ]]は「元より伝説であり特定はできないが」とした上で、伝説の地をクシフルに音の似た九重連峰や[[久住山]]とする説等を紹介している。谷自身は、高千穂を「高い山」の意とし、添(ソホリ)が[[ソウル特別市|ソウル]]と同じ王の都であるなど韓国との関連を示す記載と前述の瓊々杵尊の言葉から、本来は九州北部が伝説の地であったが、政策上の都合で九州南部に移動したとしている。また、谷はソホリに「大きい」の意のクがついたものがクシフルである可能性とカシハラとの類似性も指摘している。