「川合玉堂」の版間の差分

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{{Infobox 芸術家
[[File:Kawai Gyokudō photographed by Shigeru Tamura.jpg|thumb|200px|1953年(昭和28年) ]]
| 称号 =
'''川合 玉堂'''(かわい ぎょくどう、[[1873年]]([[明治]]6年)[[11月24日]] - [[1957年]]([[昭和]]32年)[[6月30日]])は、日本の明治から昭和にかけて活躍した[[日本画家]]。本名は川合芳三郎(かわいよしさぶろう)。
| 名前 = 川合 玉堂
| イニシャル =
[[File:| 画像 = Kawai Gyokudō photographed by Shigeru Tamura.jpg|thumb|200px|1953年(昭和28年) ]]
| 画像サイズ = 200px
| 画像テキスト = 肖像写真<br />1953年(昭和28年)79~80歳時
| 画像説明文 = 肖像写真<br />1953年(昭和28年)79~80歳時<!--{{年数|1873|11|24|1953|01|01}}{{年数|1873|11|24|1953|12|31}}-->
| 本名 = 川合 芳三郎({{small|かわい よしさぶろう}})
| 誕生日 = [[1873年]](明治6年)[[11月24日]]
| 出生地 = {{JPN}} [[愛知県]][[葉栗郡]]外割田村(現・[[一宮市]]木曽川町外割田<ref name="生地map" group="*">一宮市木曽川町外割田({{googlemap|一宮市木曽川町外割田}}…※該当地域は赤い線で囲い表示される)</ref>)
| 死没年月日 = [[1957年]](昭和32年)[[6月30日]](満83歳没)<!--{{死亡年月日と没年齢|1873|11|24|1957|06|30}}-->
| 死没地 = {{JPN}} [[東京都]][[西多摩郡]][[三田村 (東京都)|三田村]]御岳(現・[[青梅市]]御岳<ref name="没地map" group="*">青梅市御岳({{googlemap|青梅市御岳}}…※該当地域は赤い線で囲い表示される)</ref>)
| 墓地 = [[多磨霊園]]
| 墓地座標 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 修行 = [[望月玉泉]]門下、[[幸野楳嶺]]門下、[[橋本雅邦]]門下
| 出身校 =
| 芸術分野 = [[日本画]]
| 代表作 = 『[[#行く春|行く春]]』『[[#彩雨|彩雨]]』『[[#暮雪|暮雪]]』
| 流派 =
| 運動・動向 =
| 配偶者 =
| 受賞歴 =
| 会員選出組織 = [[帝室技芸員]]
| 後援者 =
| メモリアル =
| 活動期間 =
| 被影響芸術家 = [[尾上柴舟]]。
| 与影響芸術家 = 尾上柴舟。[[長野草風]]、[[池田輝方]]、[[池田蕉園]]、[[松本姿水]]、[[山内多門]]、[[高橋玉淵]]。
| ウェブサイト =
}}
'''川合 玉堂'''(かわい ぎょくどう、[[1873年]][[明治]]6年[[11月24日]] - [[1957年]][[昭和]]32年[[6月30日]])は、日本の明治から・[[大正]]・昭和にかけて時代の[[日本]]でした[[日本画家]]。本名は '''川合 芳三郎'''(かわい よしさぶろう)。
 
== 来歴・人物 ==
[[愛知県]][[葉栗郡]]外割田村(現在の[[一宮市]]木曽川町外割田<ref name="生地map" group="*" />)に、筆墨紙商の長男として生まれる。12歳頃より絵に親しみ、[[京都]]にてはじ[[望月玉泉]]門下、のち[[幸野楳嶺]]門下で[[円山派|円山]]・[[四条派]]を学ぶ。「玉堂」と号するのは[[1890年]](明治23年)17歳のとき。時で、この際「年、[[#春渓群猿図」「秋渓群鹿図」は|『春渓群猿図』『秋渓群鹿図』]]の連作を[[内国勧業博覧会#第三回内国勧業博覧会|第3回[[内国勧業博覧会]]に出品し、入選を果たている
 
[[Fileファイル:Kawai Gyokudo and とみ.JPG|thumb|left|220px180px|玉堂とその妻・とみとともに<br />1949年(昭和24年)撮影]]
1896年(明治29年)23歳のとき時に[[上京]]て([[東京]]へ移住して)[[橋本雅邦]]に師事する。[[岡倉天心|岡倉覚三(天心)]]、雅邦、[[横山大観]]らの創立した[[日本美術院]]には[[1898年]](明治31年)当初より参加。[[1900年]](明治33年)頃からは私塾「長流画塾」を主宰している。[[1907年]](明治40年)には第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、また、[[1915年]][[大正]]4年)からは[[東京美術学校]]日本画科教授、[[1917年]](大正6年)<!--[[6月11日-->]]には[[帝室技芸員]]<ref>『官報』第1458号、大正6年6月12日。</ref>に任じられ日本画壇の中心的存在の一人となる。[[1931年]](昭和6年)に[[フランス]]政府から[[レジオンドヌール勲章]]を授与された[[1933年]](昭和8年)には[[ドイツ]]政府から[[名誉章|赤十字第一等名誉章]]を贈ら授与さた。[[1940年]](昭和15年)には日本政府から[[文化勲章]]を受章し授与された。
 
[[ファイル:Grave of Gyokudo Kawai.jpg|サムネイルthumb|130px|[[多磨霊園]]にある玉堂の墓]]
[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)、かねてより[[写生]]で頻繁に写生に訪れていた[[東京都]][[西多摩郡]][[三田村 (東京都)|三田村]]御岳(現・[[青梅市]]御岳<ref name="没地map" group="*" />)に[[疎開]]し、住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称した。[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]も同地の自然を愛する玉堂はそのまま定住、その地で[[1957年]](昭和32年)に死去した。贈[[勲一等旭日大綬章]](没時叙勲)。[[神奈川県]][[横浜市]][[金沢区]]には1917年(大正6年)頃に建設した別邸「二松庵」があり、横浜市指定の有形文化財として月1回の一般公開もなされていたが<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/kusei/kikaku/gyokudo/ 横浜市 旧川合玉堂別邸 トップページ]</ref>、2013年([[平成]]25年)10月16日に発生した火災により全焼してしまった<ref>[http://www.asahi.com/national/update/1016/TKY201310160009.html 旧川合玉堂別邸が全焼 横浜・金沢区] [[朝日新聞]] 2013年10月16日</ref>。二松庵庭園は2016年(平成28年)11月4日に[[名勝]]として[[横浜市指定文化財および地域文化財一覧|横浜市指定文化財]]に指定された<ref>{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201610/images/phplKXLkN.pdf 平成28年度 新たな横浜市指定文化財 教育委員会事務局]}}</ref>
 
[[神奈川県]][[横浜市]][[金沢区]]には[[1917年]](大正6年)頃に建設した別邸「二松庵」があり、横浜市指定[[有形文化財]]として月1回の一般公開もなされていたが<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/kusei/kikaku/gyokudo/ 横浜市 旧川合玉堂別邸 トップページ]</ref>、[[2013年]]([[平成]]25年)[[10月16日]]に発生した火災により全焼してしまった<ref>[http://www.asahi.com/national/update/1016/TKY201310160009.html 旧川合玉堂別邸が全焼 横浜・金沢区] [[朝日新聞]] 2013年10月16日</ref>。二松庵庭園は[[2016年]](平成28年)[[11月4日]]付で[[名勝]]として[[横浜市指定文化財および地域文化財一覧|横浜市指定文化財]]に指定された<ref>{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201610/images/phplKXLkN.pdf 平成28年度 新たな横浜市指定文化財 教育委員会事務局]}}</ref>。
日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を美しい墨線と彩色で描くことを得意とした。
 
日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を美しい墨線と彩色で描くことを得意とした。玉堂のもとには[[長野草風]]、[[池田輝方]]、[[池田蕉園]]、[[松本姿水]]、[[山内多門]]、[[高橋玉淵]]ら多くの門人がいた。
 
== 玉堂美術館 ==
[[Fileファイル:Gyokudo Art Museum.jpg|thumb|250pxleft|青梅市の[[170px|<center>玉堂美術館]]]]
{{main|玉堂美術館}}
玉堂は、[[1944年]](昭和19年)から死去する[[1957年]](昭和32年)までを[[東京都]][[西多摩郡]][[三田村 (東京都)|三田村]]御岳(現・[[青梅市]]御岳<ref name="没地map" group="*" />)で過ごした。
玉堂は1944年(昭和19年)から去する1957年(昭和32年)まで東京都青梅市御岳で過ごした。玉堂後、画家の地で愛した御岳渓谷に[[美術館]]を設置しようという声があがった。[[香淳皇后]]の支援のもと、諸団体、地元有志、ならびに全国の玉堂ファンから多大な寄付を受け、死後4年を経た[[1961年]](昭和36年)5月に[[玉堂美術館]]が開館した<ref>{{Cite web|url=http://www.gyokudo.jp/03info/index.html|title=玉堂美美術館概要|accessdate=2016-2-15|publisher=玉堂美術館|archiveurl=https://archive.is/20160215122438/http://www.gyokudo.jp/03info/index.html|archivedate=2016年2月15日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。
==代表作品==
[[File:Kawai Gyokudo Paintings.jpg|thumb|150px|「漁村渡舟」]]
*「二日月」(1907年、絹本彩色、[[東京国立近代美術館]] 蔵)
*「行く春」(1916年、紙本彩色六曲一双屏風、東京国立近代美術館 蔵、[[重要文化財]])
*「[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0054761 悠紀主基屏風]」([[山元春挙]]との合作、1928年、六曲ニ双屏風、[[東京国立博物館]] 管理)
*「[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009858 溪山四時図屏風]」(1939年、六曲一双屏風、東京国立博物館 蔵)
*「[http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2716 彩雨]」(1940年、絹本彩色、東京国立近代美術館 蔵)
<gallery widths="200px" heights="200px">
File:Futsuka Zuki by Kawai Gyokudō.jpg|「二日月」
</gallery>
{{Double image aside|left|Parting Spring by Kawai Gyokudo (National Museum of Modern Art, Tokyo) L.jpg|300|Parting Spring by Kawai Gyokudo (National Museum of Modern Art, Tokyo) R.jpg|300|「行く春」(左隻)|(同右隻)}}
{{-}}
== 出典代表作品 ==
: 本節では、[[文化庁]]や著名な研究者が俯瞰的視点で代表作に挙げた作品は'''太字'''で表記する(※所蔵作品を押しがちな個別の美術館等は対象外)。[[文化財]]としての指定名称や、所有者・保管者等による管理名称などは、広く知られているいわゆる[[通称]]と異なることも多いが、本節は通称を主たる名称として記載し、専門的名称は説明文の中で挙げることとする(例:行く春)。
<references/>
 
* {{Anchors|春渓群猿図秋渓群鹿図}}春渓群猿図({{small|しゅんけいぐんえんず}})及び 秋渓群鹿図({{small|しゅうけいぐんかず}})
:: [[1890年]](明治23年)、17歳の時、「玉堂」と号して[[内国勧業博覧会#第三回内国勧業博覧会|第3回内国勧業博覧会]]に出品し、入選を果たして記念すべき連作。
* {{Anchor|家鴨}}({{small|あひる}}) <ref name="CHO_232914">{{文化遺産オンライン|232914|家鴨}}</ref>
:: [[1897年]](明治30年)作。絹本著色。1幅。172.1×253.6 (cm)。[[東京国立博物館]]所蔵。
 
[[ファイル:Futsuka Zuki by Kawai Gyokudō.jpg|thumb|250px|{{Anchors|二日月_画像}}<center>『二日月』]]
{{Double image aside|leftright|Parting Spring by Kawai Gyokudo (National Museum of Modern Art, Tokyo) L.jpg|300270|Parting Spring by Kawai Gyokudo (National Museum of Modern Art, Tokyo) R.jpg|300270|{{Anchors|行く春_画像}}『行く春』    (左隻)|<center>右隻)}}
<!--[[ファイル:Kawai Gyokudo Paintings.jpg|thumb|120px|{{Anchors|漁村渡舟_画像}}<center>『漁村渡舟』]]|※大した情報は確認できず、代表作と言い難い。-->
* {{Anchor|二日月}}({{small|ふつかづき}}) {{small|(英題)}}''New Moon'' <ref name="CHO_98750">{{文化遺産オンライン|98750|二日月}}</ref>
:: [[1907年]](明治40年)作。絹本淡彩墨画。軸・1幅。86.4×139.0 (cm)。[[東京国立近代美術館]]所蔵。■右列に画像あり。
* {{Anchor|溪村春麓図}}({{small|けいそんしゅんろくず}}) <ref name="CHO_266016">{{文化遺産オンライン|266016|溪村春麓図}}</ref>
:: 1907年(明治40年)作。絹本彩色墨画。150.5×85.0 (cm)。[[広島県立美術館]]所蔵。
* {{Anchor|深山濃霧}}({{small|しんざんのうむ}}) <ref name="CHO_233234">{{文化遺産オンライン|233234|深山濃霧}}</ref>
:: [[1909年]](明治42年)作。絹本著色。1幅。224.2×142.4 (cm)。[[東京国立博物館]]所蔵。
* '''{{Anchor|行く春}}'''({{small|ゆくはる}}) {{small|(英題)}}''Parting Spring'' <ref name="CHO_194603">{{文化遺産オンライン|194603|紙本著色行く春図〈川合玉堂筆/六曲屏風〉}}</ref><ref name="CHO_27124">{{文化遺産オンライン|27124|行く春}}</ref>
:: [[1916年]](大正5年)作。紙本彩色六曲一双屏風。各 183.0×390.0 (cm)。
:: 国指定[[重要文化財]]。指定日:[[1971年]](昭和46年)[[6月22日]]。指定番号:01660。指定名称:'''紙本著色行く春図〈川合玉堂筆/六曲屏風〉'''。員数:一双。所有者:[[国立美術館]]。保管施設:[[東京国立近代美術館]]。
:: 文化庁が代表作に挙げる一点{{r|CHO_194603}}。[[サクラ|桜]]の季節の[[長瀞渓谷|長瀞]]の景勝を描く。■右列に画像あり。「[[長瀞渓谷#描かれた長瀞渓谷]]」にも詳説あり。
* {{Anchor|悠紀主基屏風}}({{small|ゆきすき びょうぶ}})
:: [[1928年]](昭和3年)、[[山元春挙]]との合作。六曲ニ双屏風。[[東京国立博物館]]管理。[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0054761]
* {{Anchor|朝もや}}({{small|あさもや}}) {{small|(英題)}}''Morning Mist'' <ref name="CHO_98820">{{文化遺産オンライン|98820|朝もや}}</ref>
:: [[1938年]](昭和13年)作。絹本彩色。軸・1幅。86.5×118.3 (cm)。[[東京国立近代美術館]]所蔵。
* {{Anchor|溪山四時図屏風}} [http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009858]
:: [[1939年]](昭和14年)作。六曲一双屏風。各 168.7×373.8 (cm)。[[東京国立博物館]]所蔵。
* '''{{Anchor|彩雨}}'''({{small|さいう}}) <ref name="CHO_79462">{{文化遺産オンライン|79462|彩雨}}</ref><ref>[http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2716]</ref>
:: [[1940年]](昭和15年)、67歳時の作{{r|CHO_194603}}。絹本彩色。軸・1幅。87.7×116.7 (cm)。[[東京国立近代美術館]]所蔵。文化庁が代表作に挙げる一点{{r|CHO_194603}}。
* '''{{Anchor|暮雪}}'''({{small|ぼせつ}})
:: [[1952年]](昭和27年)作。文化庁が代表作に挙げる一点{{r|CHO_194603}}。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=*}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
* {{Commonscat-inline}}
* [[尾上柴舟]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.gyokudo.jp/ 玉堂美術館ホームページ]
* {{Commonscat-inline}}
 
{{Normdaten}}
4,745

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