「国道246号」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 律令時代から戦国時代 ===
[[律令時代]]の頃、西国から[[東海道畿内]]から東国を結ぶ東海としての道筋は足柄峠を越える「足柄道」があり、このとして利用されていた。ただし、現在の国道246号は、足柄道ほぼ近いところに沿って通ってるがた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=92}}。ただし、必ずしも重複せずしていたわけではなく、国道246号の直接の祖が現れるのは江戸時代の頃となる。[[延暦]]19年([[800年]])から始まった[[富士山]]噴火による火山灰の堆積によって足柄道が使用できなくなり、代わりに[[箱根峠]]越えの東海道が切り拓かれた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=92}}。やがて、足柄道の復旧が行われたが、往時の勢いを取り戻すまでには至らなかった{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=92}}
 
=== 江戸時代 ===
[[江戸時代]]に[[五街道]]の一つである[[東海道]]が徳川初代将軍[[徳川家康|家康]]によって整備されると、ほぼ足柄道に沿う形で新たに[[矢倉沢往還]]が整備され、東海道の[[脇往還]]として利用されるようになる。東海道同様、[[江戸]]と東海道沿道各地を結び、人や物資が往来し発展した。この矢倉沢往還は、現在の国道246号の原形となる経路を辿っている{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=93}}
 
[[享保]]年間になると大山[[講]]が盛んになり、江戸から[[山岳信仰]]のある[[大山 (神奈川県)|大山]]に詣でるための街道としても賑わった。丹沢山地南端に位置する[[大山阿夫利神社]]への参詣のため、多くの庶民から人気を集め利用されるようになり、この頃より[[大山道]](大山街道)とも呼ばれるようになる{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=93}}。その名は現在も神奈川県内の通称名や同県内および東京都内の旧道などに残っている。
 
=== 近現代 ===
大山街道は[[明治]]・[[大正]]の道路施策のなかでは一地方道の扱いとなったが、[[1952年]]([[昭和]]27年)の[[一級国道]]の路線指定に際しても、都県道に留め置かれた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=93}}。まだこの頃の大山街道は田畑を縫う細い砂利道であったといい、東京 - 横浜 - 沼津間には東海道を継承する一級国道1号や15号があったため、翌[[1953年]](昭和28年)の[[二級国道]]の路線指定の対象からも漏れている{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=93}}。国道として初めて指定されたのは、[[1956年]](昭和31年)の二級国道の第二期路線指定で「二級国道246号東京沼津線」となったときである{{sfn|佐藤健太郎|2015|pp=93–95}}{{efn|国道指定される以前の大山街道は、東京都道・神奈川県道1号であったが、国道昇格を果たすとともに、国道1号との混同を避けるために、現在も東京都道・神奈川県道の1号は欠番となっている{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=95}}。}}。この頃までの神奈川県川崎市・横浜市の沿線は、交通の便が良くなかったことから農業主体の集落が多く、牧歌的な雰囲気を残していた。ちょうどこの頃から、並行するように[[東名高速道路]]の建設が始められ、東急グループによる田園都市線を中心とした開発が進められるようになる{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=95}}。沿道の東京都の[[駒沢]]には、[[1964年東京オリンピック]]のスタジアムも設置された{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=95}}。
大山街道は[[明治]]・[[大正]]の道路施策のなかでは一地方道の扱いとなったが、[[1956年]]([[昭和]]31年)に[[二級国道]]として指定された。直轄国道になった[[1965年]](昭和40年)頃より、[[輻輳]]が激しく改修の余地の小さい[[国道1号]]の[[バイパス道路|バイパス]]路線として注目され、重点的に整備が進められた。
 
また、こ[[1965年]](昭和40年)頃まで一般国道神奈川県川崎市・横浜市の沿を指定する政令で交通一級・二級便国道区分良くなかっ廃止されて一般国道に統合されたことに伴い、「二級国道246号東京沼津線」から農業主体「一般国道246号」となり<ref>一般国道集落が多く路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)</ref>牧歌的[[直轄国道]]と雰囲気を残してい。しかしこの頃より道路改良する土地に裕度があった国道294号は[[輻輳]]が激しく改修の余地の小さい[[国道指定1号]]の[[バイパス道路|バイパス]]路線同時期して注目され、重点的道路改良整備が一気に進められた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=95}}。[[多摩田園都市]]の開発が始まりとともに、沿線は急速に宅地化され交通量が増大した。そのため、[[1974年]](昭和49年)以降[[東京・横浜バイパス]]が建設されている。なお、この東京・横浜バイパスとして整備された区間はそ後国は、本道指定移管され、旧て国指定解除を受けている。
 
現在は全体に高規格化され、特に東京都心部から神奈川県厚木市付近までは片側2車線以上・立体交差中心の幹線道路として整備されている。神奈川、静岡間を最短で結ぶ国道1号には箱根峠があり、この区間は急勾配・急カーブが続き、[[トレーラー]]を含めたほとんどの大型車の走行は厳しい。[[箱根新道]]<ref group="注釈">2011年7月26日より無料開放</ref>・[[箱根ターンパイク]]など有料[[バイパス道路]]はあるものの、いずれも急勾配が続くことには変わりがなく、費用対効果や安全面等から東名高速道路とのアクセスが容易な国道246号を選択する車も多い。特に冬季は、少量の降雪でもチェーン規制になりやすい国道1号や箱根新道と比べても、チェーン規制のかかりにくい平坦な国道246号が重宝される。時間帯を問わず、長距離トラックの通行量は非常に多い。
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{{独自研究|section=1|ソートキー=道国246|date=2016年4月}}
東京都と神奈川県を結ぶ一般道路としては、[[国道15号]](第一京浜)、[[国道1号]]([[第二京浜国道|第二京浜]])と並ぶ重要な道路であり、一般的に「246」(ニーヨンロク)と呼ばれる。海沿いの工業地帯を通る両京浜道路と異なり、国道246号は内陸部の住宅地を通る。また、神奈川県と沼津以西を結ぶ道路としても重要であり、国道1号は難所で知られる[[箱根峠]]を経由しているが、国道246号は比較的勾配が緩やかな[[酒匂川]]沿いを経由し、神奈川県と静岡県を継いでいる。地形もさることながら冬季の積雪、凍結などに左右されやすい箱根峠を避けてこの道路を使う長距離トラックなども多い。
 
なお、[[東急田園都市線]](ほぼ全線)、[[相鉄本線]]([[大和駅 (神奈川県)|大和]] - [[海老名駅|海老名]]間)、[[小田急小田原線]](海老名 - [[新松田駅|新松田]]間)、[[東海旅客鉄道|JR]][[御殿場線]]([[松田駅]] - [[大岡駅 (静岡県)|大岡]]間)、[[首都高速3号渋谷線]]及び[[東名高速道路]]は概ね、国道246号に沿うような位置関係である。特に東急田園都市線は、渋谷区道玄坂〜世田谷区新町一丁目間は国道246号の直下を、また、直通先の[[東京メトロ半蔵門線]]から[[永田町駅]]〜渋谷区宮益坂で直下を走行している。
 
=== 東京都内 ===
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== 地理 ==
東京都心から静岡県沼津市を結ぶ一般国道としては、[[丹沢山地]]と[[箱根山]]の間の[[足柄峠]]付近の[[酒匂川]]に沿って神奈川・静岡県境を越える国道246号は、[[箱根峠]]越えの国道1号の北側で並行している。東海道(国道1号)の箱根山を迂回するルートをとるが、国道1号と比較して高低差は小さく、なだらかで安全面で優位と言える{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=92}}。東京都心部は国の政府・立法機関が集まる[[永田町]]を通り、[[赤坂]]・[[青山]]・[[渋谷]]を経由する[[青山通り]]にはオフィスビルやファッション街が立ち並ぶ。[[世田谷]]から[[川崎]]・[[横浜]]にかけては日本有数の高級住宅地を貫くことから、国道246号の知名度や重要度は高い{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=92}}。[[東名高速道路]]や[[東急田園都市線]]に並行しており、[[東急グループ]]による多摩田園都市の大規模開発が進められ、沿線は市街地として昭和から平成期にかけて発展してきた{{sfn|佐藤健太郎|2015|pp=94&ndash;95}}。
 
なお、[[東急田園都市線]](ほぼ全線、[[相鉄本線]][[大和駅 (神奈川県)|大和]] - [[海老名駅|海老名]]間、[[小田急小田原線]]海老名 - [[新松田駅|新松田]]間、[[東海旅客鉄道|JR]][[御殿場線]][[松田駅]] - [[大岡駅 (静岡県)|大岡]]間、[[首都高速3号渋谷線]]及び[[東名高速道路]]は概ね、国道246号に沿うような位置関係である。特に東急田園都市線は、渋谷区道玄坂 - 世田谷区新町一丁目間は国道246号の直下を、また、直通先の[[東京メトロ半蔵門線]]から[[永田町駅]] - 渋谷区宮益坂で直下を走行通過している。
 
=== 通過する自治体 ===
* [[東京都]]