「張景恵」の版間の差分

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迷走する[[北京政府]]を尻目に張作霖は着実に『[[奉天派]]』を組織してゆき、その中で張景恵は瞬く間に出世を果たし、[[1918年]]には奉天軍副総司令に就任している。この後も奉天派の重鎮として[[張作霖]]と行動を共にし、[[1926年]]に[[北京政府]]の中華民国陸軍総長に就任した。
 
だが[[1928年]]に国民党の[[蒋介石]]の[[北伐 (中国国民党)|北伐]]によって張作霖が失脚すると、張景恵も同時に失脚する。巻き返しを図るために奉天に戻ろうとした張作霖の乗った列車は爆破され([[張作霖爆殺事件]])、随伴していた張景恵も重傷を負う。
 
張作霖の後を継いだ[[張学良]]は、その基本方針が「国内他勢力と合同してでも諸外国に対抗できる国力を持つ」事だったため、[[1929年]]1月に蒋介石の[[蒋介石政権|南京国民政府]]に帰順した。張景恵もこれに従って南京国民政府で軍事参議院院長を務める。