「喜連川昭氏」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 喜連川 昭氏
| 時代 = [[江戸時代]]前期 - 中期
| 生誕 = [[寛永]]19年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]([[1642年]][[12月15日]])
| 主君 = [[徳川家光]]→[[徳川家綱|家綱]]→[[徳川綱吉|綱吉]]→[[徳川家宣|家宣]]→[[徳川家継|家継]]
| 藩 = [[下野国|下野]][[喜連川藩]]主
| 氏族 = [[喜連川]]
| 父母 = 父:[[喜連川尊信]]、母:[[側室]][[一色氏久]]の曾孫
| 兄弟 = '''昭氏'''、[[喜連川氏信|氏信]]
| 妻 = [[正室]]'''桜井[[松平忠倶]]の養女([[織田信勝]]の娘)'''<br /><small>※忠倶の実の娘とも</small>
| 子 = [[喜連川菊千代|菊千代]]、娘([[喜連川氏春]]の正室)<br />養子:''氏信''、'''''[[喜連川氏春|氏春]]'''''
| 特記事項 =
}}
'''喜連川 昭氏'''(きつれがわ あきうじ)は、[[江戸時代]]前期の[[大名]]。[[下野国|下野]][[喜連川藩]]の第3代[[藩主]]
 
== 生涯 ==
寛永19年(1642年)10月24日、第2代藩主・[[喜連川尊信|尊信]]の長男として生まれる。[[足利義昭]]で絶えた[[足利氏|足利家]]|宗家(将軍家)を継承する者としてその1字をとって'''昭氏'''と名乗った。[[正保]]4年(1647年)藩の主導権をめぐって藩内で[[喜連川騒動]]が発生し、[[慶安]]元年([[1648年]])、父尊信の[[隠居]]により跡を継ぐが、幼少のために父と後見人の[[榊原忠次]](松平忠次)の補佐を受けた。正徳3年(1713年)11月12日に死去した。享年72。
 
男児が早世し、養嗣子にしたため、はじめ弟の[[喜連川氏信|氏信]]を養嗣子にしたが、早世したため、[[入婿|婿養子]]の[[喜連川氏春|氏春]]が跡を継いだ。
 
{{喜連川藩主|3代|1648年 - 1713年}}
{{DEFAULTSORT:きつれかわ あきうし}}
[[Category:喜連川藩主|あきうし]]
[[Category:喜連川|あきうし]]
[[Category:1642年生]]
[[Category:1713年没]]
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