「曹丕」の版間の差分

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[[ホウ統|龐統]]の弟[[ホウ林|龐林]]の妻は、同軍の[[習禎]]の妹であった。曹操が荊州を破ったとき、龐林の妻は龐林と離ればなれになり、一人で幼い娘を十余年養育した。後年、龐林が[[黄権]]に従って魏に投降したとき、やっとふたたび親子一緒になることができた。聞き知った曹丕は彼女を賢婦だと思い、寝台・帳・衣服を賜って、その節義を表彰した<ref>『[[襄陽記]]』</ref>。
 
曹丕は、死後の甄氏に対する振り乱した髪で顔を覆われ、ぬかを口につめこまれて埋葬された<ref>『[[漢晋春秋]]』</ref>。郭夫人が皇后に立てられた。
 
三輔(長安)が混乱すると、王忠は飢え苦しんで人肉を食した。後に五官中郎将だった曹丕は、曹操・王忠らと共に外出したことがあった。このとき曹丕は、芸人に命じて墓場から髑髏を取って来させ、これを王忠の鞍に括り付けさせた。かつて人肉を食った王忠を、笑い者にしたのである。
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