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{{日本の行政区
|自治体名 = 若林区
|画像 = File:Mutsu_Kokubunji_yakushi-dou.JPG
|画像の説明 = [[陸奥国分寺]]薬師堂
|都道府県 = 宮城県
|支庁 =
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== 地理 ==
[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]・[[名取川]]を西南の境とし、東は[[仙台湾]]に面する。全体的に低平な土地である。区の中心部を[[国道4号]][[仙台バイパス]]が縦断しており、仙台バイパス付近より西側は[[住宅地]]、東側は水田地帯となっている。震災前は、荒浜地区は、水田と林に囲まれたところに集落があったが、津波で消滅した。
 
*河川 - 名取川・広瀬川・[[七郷堀]]・[[六郷堀]]
 
== 歴史 ==
現在の若林区が設けられるまで、この区域が一つのまとまりとされたことはない。区の西端は[[江戸時代]]から城下町仙台の一部で、それより東は近郊の農村であった。政令指定都市になるに際し、市の南東部を一個の区として設けたのが若林区である。若林は、[[伊達政宗]]が造営した[[若林城]](現:[[宮城刑務所]])に由来する。区名の公募の1位は東区、2位は南区、3位は広瀬区で、若林区は4位であった。東区と南区は方位をとらないという方針によって除かれ、広瀬区は、各区で上位にあり、かつ上・中流のほうが広瀬のイメージにふさわしいという理由で退けられた<ref>難波信夫「政令指定都市仙台の区名選定に関する資料」、『市史せんだい』、第15巻、2005年9月。</ref>。
 
若林区役所(旧養種園)の周辺には、[[古墳時代]]に[[遠見塚古墳]]・[[猫塚古墳 (仙台市)|猫塚古墳]]・[[法領塚古墳]]など多くの古墳が造られた。[[奈良時代]]に現在の木ノ下に[[陸奥国分寺]]・[[陸奥国分尼寺]]が建立された。中世にはこの辺りから[[国分氏 (陸奥国)|国分氏]]が興って今の仙台市域の大部分を支配した。[[伊達政宗]]が江戸初期に仙台城下町を築いた際、この付近の人々が現在の[[国分町 (仙台市)|国分町]]に移された。区の過半は[[宮城郡]]だが、南部は[[名取郡]]に属し、室町時代に[[粟野氏]]が現在の沖野地区に舘([[沖野城]])を構築して[[茂ヶ崎城]]の出城とした。今泉地区にも須田玄蕃の館([[今泉城 (陸奥国)|今泉城]])があったとされる。太白区の郡山地区などと並び、現在の仙台市中心部よりも古い歴史を持つ地域である。
 
*古墳時代、[[遠見塚古墳]]が築造される。
*[[741年]]:現在の木ノ下に陸奥国分寺が建立される。
*[[1627年]]:伊達政宗が[[若林城]]を築く。
*[[1889年]]:仙台市制施行。
*[[1900年]]:伊達家が養種園を開設。農業振興に大きな役割を果たす。
*[[1989年]]:仙台市の[[政令指定都市]]移行に伴い若林区が誕生。
*[[2011年]][[3月11日]]:[[東北地方太平洋沖地震]]に伴う大津波によって太平洋側の荒浜地区を中心に甚大な被害を受ける([[東日本大震災]])
 
== 産業 ==