「662 BPM BY DG」の版間の差分

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== 背景 ==
1988年、ロックバンド[[人生 (バンド)|人生]]に所属していた[[石野卓球]]は、同レーベル所属の[[筋肉少女帯]]がメジャーデビューした事、あるいは[[TBS系列|TBS系]][[深夜番組]]『[[平成名物TV]]』([[1989年]] - [[1991年]])での1コーナー「[[三宅裕司のいかすバンド天国]]」から多数のバンドが輩出されている事に焦りを感じていたが、結果として同番組は出演しなかった<ref name="_muscle27">{{Cite book|和書
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}}</ref>。
 
またその当時、[[Yello]]や[[M/A/R/R/S]]、[[ティム・シムノン|ボム・ザ・ベース]]などを聴き衝撃を受けた石野は、人生としての活動に疑念を持ち始めていた<ref name="_muscle27"/>。自身の音楽に対する嗜好と人生の活動が乖離している状態であったため、一度は人生とは別のバンドを結成する事も検討したが、人生のライブには[[パンク (サブカルチャー)|パンクス]]の観客が来るなど誤解されていた面があった事、プイベートでは石野が彼女と別れた事、プロになる事を優先しすぎたあまりバンドメンバー同士が倦怠期であに陥ていた事などを理由に人生の解散を決定した<ref name="_muscle27"/>。
 
人生の解散後に一時は音楽を辞める事も想定した石野であったが、メジャーデビューを目指すのではなく、自身が納得できる音楽を製作する事、マイペースで活動する事を念頭に電気グルーヴを結成する<ref name="_muscle27"/>。その当時に石野はYello、[[ポップ・ウィル・イート・イットセルフ]]、[[ジーザス・ジョーンズ]]などを愛聴していたが、[[パブリック・エナミー]]を聴いた影響で電気グルーヴでは[[ラップ]]を全面的採り入れる事を検討する事となった<ref name="_muscle27"/>。
 
一方で人生解散後、音楽の道から外れビデオ制作会社に就職していた[[ピエール瀧]]は、当初は電気グルーヴには参加しない意向であったが、石野からの勧誘によりグループへの参加を承諾する<ref name="_muscle69">{{Cite book|和書