「水俣病」の版間の差分

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水俣病として認定された患者は原因企業である[[チッソ]]および[[昭和電工]]からの補償を受ける。患者の認定は1959年に開始された。ハンター・ラッセル症候群をベースに症状の組み合わせを求めるものであった。1971年(当時の環境庁長官は大石武一)の次官通知で「疫学条件(原因食品の摂取)といずれかの症状」による認定が開始された。補償内容は1973年に患者と原因企業間で締結された補償協定により、一時金一人1,600万 - 1,800万円、年金、医療費の支給などで、認定患者の数は約3,000人(死者含む)である。[[公害健康被害の補償等に関する法律]](公健法)による水俣病の認定は、国([[環境省]])の認定基準にしたがって、国からの委託を受けた熊本県・鹿児島県および新潟市が行う。
* 1974年:5歳で水俣病に冒され、18年間危篤状態だった女性が死亡。水俣病患者100人目の死者。
* 1975年:チッソ幹部が水俣病の「殺人、傷害罪」で告訴される。昭和63年2月、チッソ元社長ら[[業務過失致死罪]]で有罪判決。
* 1975年3月、水俣病関西[[患者会|患者の会]]が結成される。
* 1976年:[[熊本地方検察庁]]、水俣病でチッソ関係者を業務上過失致死傷害罪で起訴。4大公害事件で初の刑事訴追。昭和54年3月22日、熊本地裁で有罪判決([[福岡高等裁判所]]支持)。
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