「夏侯惇」の版間の差分

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== 生涯 ==
14歳の時、学問の師を侮辱した男を殺し、荒い気性を持つ人として知られるようになる。曹操が兵した時から、常にその副将として付き従った。
 
[[190年]]、曹操が奮武将軍を称すると、その司馬に任じられた。曹操が[[董卓]]配下の[[徐栄]]に滎陽汴水で敗れると、軍兵不足を補うため、夏侯惇は曹操や[[曹洪]]と共に揚州に赴き、[[丹陽郡 (江蘇省)|丹陽]]太守の[[周キン|周昕]]達の協力を得て精強な兵士を得たが、反乱により多くを失った(「武帝紀」)。