「本通寺 (佐賀市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[室町時代]]中期の[[永享寛正]]3間に([[1462年]])[[千葉胤俊]]が開基となり、開山を常在院[[日寿]]上人によっとして開創された。[[肥前国]][[小城市|小城郡]]主[[九州千葉氏|千葉氏]]および[[佐賀藩]]主[[鍋島氏]]の一族である[[肥前石井氏|石井氏]]の帰依を受け、その菩提寺となった。
 
当山は一時期、隆盛を誇っていたが、[[安土桃山時代]]の頃には衰退した。佐賀藩祖[[鍋島直茂]]の家老であった[[石井生札]]が再興。生札は武勇の将であったが、幾多の合戦で多くの人を殺傷した罪滅ぼしを思い立ち、落ちぶれていた当山を再興し、みずから住職となり日栄上人と呼ばれ、寺を守った。その後、二代、三代と、石井氏が住職をつとめた。
境内には、[[石井生札]](藩祖[[鍋島直茂]]の家老)、[[石井正能]]([[島原の乱]]一番槍の勇将)、[[石井松堂|石井龍右衛門]](幕末の国学者)、[[石井富之助]]([[戊辰戦争]]時の新政府軍海軍参謀補助)らの墓所がある。
 
境内には、[[石井生札]](藩祖[[鍋島直茂]]家老)ほか、[[石井正能]](生札の孫、[[島原の乱]]一番槍の勇将)、[[石井松堂|石井龍右衛門]](幕末の国学者)、[[石井富之助]]([[戊辰戦争]]時の新政府軍海軍参謀補助)らの墓所がある。
 
== 交通 ==