「石井生札」の版間の差分

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[[佐賀藩]]に伝わる武士道論書『[[葉隠]]』では、生札が老年の直茂に付き従い、病床の直茂から「今晩のうちに、書院を解体したい。物音を立てずに解体せよ」との命を受けると、生札は、人足に柴の葉を加えさせて物音を立てないように解体させたといい、直茂を「だからその方に頼んだのだ」と喜ばせる逸話が見られ、生札の機転の良さと、直茂との信頼関係の厚さを伝えている。
 
晩年は、戦場で多くの敵兵を殺した罪滅ぼしを思い立ち、零落していた[[本通寺]]を再建し、自ら住職となって余生を過ごした。日栄上人と呼ばれた。
慶長7年(1602年)死去。墓所は、[[佐賀県]][[佐賀市]]高木瀬東の[[本通寺]]にある。
 
慶長7年(1602年)死去。墓所は、[[佐賀県]][[佐賀市]]高木瀬東の[[本通寺]]にある。
 
== 子孫 ==