「岡倉節子」の版間の差分

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1998年秋、娘たちにプレゼントしてもらったニューヨーク旅行中に[[心筋梗塞]]を起こし、急死した(第4シリーズ第1話)。それからは毎回のように、大吉が節子の位牌に話しかけるシーンが登場している。また、これにより近所に住む「おかくら」で知り合った親友の'''青山タキ'''([[野村昭子]])が「おかくら」の後任の女将として手伝うようになる。
 
山岡は事実上第3シリーズを最後に降板。OPクレジットにおいては、第3シリーズ総集編が組まれた上にスタート時点で生存設定であった第4シリーズ第1話が、OPで山岡の名前が載った最後の回となった。ちなみに、山岡は第3シリーズTV放送終了後、1997年国際演劇月参加作品東宝現代劇5・6月特別公演「渡る世間は鬼ばかり3」の舞台版まで岡倉節子役を演じており、岡倉節子役を最後に演じたのはTVではなくこの舞台公演であった。
 
第1シリーズから第3シリーズまで主役を張ってきた山岡久乃であったが、第4シリーズ開始前に突然降板。開始後に[[胆管癌]]であることを公表した。世間からは「山岡さんは癌のために第4シリーズを降板した」と思われがちだが、癌公表前の第3シリーズ出演中の時点で、プロデューサーの[[石井ふく子]]の脱税騒動の際、自分の名前が勝手に使われていたことへの石井への不信感と、(胆管癌発症前に)総胆管結石および肝機能障害を患っていたことで体調を崩し、自身の年齢も考えて、今後は自分の好きな仕事だけをしていくと決めたため<ref>また、これと時を同じくして、[[東京]]にあった住まいを引き払い、[[愛知県]][[豊田市]]に知人が開設する予定を立てていた[[老人ホーム]]に「終の棲家」として入所することを決めており、引越しの準備も第3シリーズが放送された時期には既に始めていたという。</ref>、次シリーズの出演意思はなかった(山岡の死去後にこのことが[[週刊誌]]に報じられた)。その後山岡は第4シリーズ放映中の[[1999年]][[2月15日]]に胆管癌による[[心不全]]のため死去した。なお、節子の死後は節子の位牌に節子の遺影が飾られていた。また、山岡の没後もしばらくは節子の位牌には節子の遺影が飾られていたが、第5シリーズ以降は遺影は飾られておらず、位牌のみとなっている([[2013年]][[6月3日]]放送の「2013年2時間スペシャル 後編」では久々に節子の遺影がドラマに登場した<ref>[http://www.tbs.co.jp/oni/gallery/20130603/g15.html おさらい写真館|TBSテレビ:橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』]</ref>)。