「ラール・クリシュナ・アードヴァーニー」の版間の差分

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{{政治家
[[File:LKAdvani1.jpg|thumb|right|インド人民党の党首として、演説するアードヴァーニー]]
|人名 = ラール・クリシュナ・アードヴァーニー
|各国語表記 = {{lang|en|Lal Krishna Advani}}
|画像 = LKAdvani1.jpg
|画像サイズ =
[[File:LKAdvani1.jpg|thumb|right|画像説明 = インド人民党の党首として、演説するアードヴァーニー]]
|国略称 = {{IND}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1927|11|8}} 
|出生地 = {{IND1885}}、<br/>ボンベイ管轄区[[カラチ]]
|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = ムンバイ大学
|前職 =
|現職 =
|所属政党 = [[インド人民党]]
|称号・勲章 =
|配偶者 =
|国旗 = India
|職名 = 副首相
|内閣 = 第3次ヴァージペーイー内閣
|就任日 = [[2002年]][[2月5日]]
|退任日 = [[2004年]][[5月22日]]
|退任理由 =
|元首職 =
|元首 =
|国旗2 = India
|職名2 = 内務大臣
|内閣2 = 第2次ヴァージペーイー内閣<br/>第3次ヴァージペーイー内閣
|選挙区2 =
|当選回数2 =
|就任日2 = 1998年3月19日
|退任日2 = 2004年5月22日
|退任理由2 =
|元首職2 =
|元首2 =
|国旗3 =
|職名3 =
|内閣3 =
|選挙区3 =
|当選回数3 =
|就任日3 =
|退任日3 =
|退任理由3 =
|元首職3 =
|元首3 =
|サイン =
|ウェブサイト =
|サイトタイトル =
}}
'''ラール・クリシュナ・アードヴァーニー'''({{lang-sd|लाल कृष्ण आडवाणी}} [[1927年]][[11月8日]] - )は、[[インド]]の政治家。元[[インド人民党]]党首。
==生涯==
その後、大衆連盟は[[インド国民会議|国民会議派]]の反主流派や左翼・地方政党と[[ジャナタ党]]を結成。ジャナタ党の選挙勝利で[[モラルジー・デーサーイー]]内閣が成立すると、[[1977年]]から、[[1979年]]まで情報・放送大臣を務める。
 
その後ジャナタ党が内部対立で瓦解すると、アードヴァーニーや[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]]などが中心となり[[インド人民党]]を結成。[[19801986年]]から[[19861991年]]までインド人民党の[[書記長]]総裁を務めた<ref>{{cite news|url=https://www.livemint.com/Politics/6OXdDGL7fso1o6WVihmGQJ/BJP-Foundation-Day-How-the-party-has-grown-since-1980.html|title=BJP Foundation Day: How the party has grown since 1980|last=Varma|first=Gyan|work=Mint|date=7 April 2017|accessdate=13 June 2018|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180613111800/https://www.livemint.com/Politics/6OXdDGL7fso1o6WVihmGQJ/BJP-Foundation-Day-How-the-party-has-grown-since-1980.html|archivedate=13 June 2018|df=}}</ref>それ以後にも人民党のトップは3総裁を2度務めている。[[1998年]]に人民党が勝利しヴァージペーイー内閣が成立すると、内相・副首相を務めた。人民党[[2004年インド総選挙|2004年連邦下院選]]に敗北し党に転落ヴァージペーイーが人民党党首を辞すると、任の党首に、総裁に就任している党首総裁在任時には本来のヒンドゥー至上主義を薄めて支持回復を図ったが、党勢の回復に繋がらず[[2009年]]に党首を辞しなかった。現在は、[[グジャラート州]][[ガンディーナガル]]でまた、候補として選挙を行っている。
 
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:ああとうああにい らある くりしゆな}}