「賀斉」の版間の差分

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賀斉が命令を受けて孫権のもとに伺侯したあと、任地の郡にもどることになると、孫権は都の郊外にまで出て送別の儀式や宴会を行い、その場では音楽が奏され剣舞が舞われた。賀斉に馬車と駿馬とが下賜され、送別の宴も終わって孫権が車に入ると、賀斉にも馬車に乗るようにと命じた。賀斉が主君の前で馬車に乗るのはおそれ多いと辞退をすると、孫権は側仕えの者に命じて賀斉をむりやり馬車に乗せさせ、郡にいるときと同様に威儀を整え行列を作って出発させた。孫権はその様子を望みやり、笑いながら、「人たるもの、努力をせねばならぬ。立派な行いを積み忠勤を重ねなければ、こうした栄誉は得られぬのだ」。(『江表伝』)
 
あるひとが「呂範と賀斉は奢侈で、服飾はを僭擬してる」という。孫権「昔、管仲の礼を越える事を桓公は優遇してこれを容認したが、覇業を損いはしなかった。今、子衡・公苗の身には夷吾の過失は無く、ただその器械の精なるを好み、舟車を厳整しているだけだ。どちらも軍容を立派にするもの。どうしてダメなのかね」と。告げた者は再びは言おうとしなかった。 (『江表伝』)
 
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