「成田空港問題」の版間の差分

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円卓会議の結論を受け、最終的には[[1995年]](平成7年)に、当時の[[内閣総理大臣]]・[[村山富市]]が、それまでの政府による強権姿勢を政府を代表して謝罪し、[[土地収用法]]に基づく[[行政代執行]]による成田空港の土地強制収用の手段を放棄した。この謝罪は地元の一定の評価を得て、その後二期工事への[[土地収用]]と集団移転に応じる[[農民]]・[[地主]]が出てきた。
 
[[三里塚闘争]]は、それまで強制的に進めることが当たり前だった、日本の公共事業のあり方を一変させた出来事だったとされる<ref name="sankei20150803" />。
 
== 反対運動の現在 ==