「日高晤郎のスーパーサンデー」の版間の差分

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[[STVホール]]からの[[公開放送]]で、翌週の観覧希望者を電話で募り、応募者多数の場合は抽選により決定する形を採っていた。ただし、STVホール以外での放送になる際には対応が異なっていた。
 
また、STVラジオの電波が[[青森県]]([[津軽地方]]や[[下北地方]]など)にも届き、[[北海道]]内ほどではないものの、{{要出典範囲|date=2013年6月|青森県でも日高の知名度が高かったため}}、途中から同じ[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[日本テレビネットワーク協議会|系列]]の[[青森放送]](RAB)まで拡大ネット放送された(1992年4月 - 1993年3月28日<ref>青森放送RABでは、日本テレビで該当時間に放送していた『[[笑撃的電影箱]]』の時差ネットを行っていたが、本番組打ち切りと同時に、同時ネットに移行した。</ref>)。ネット第1回目では青森放送RAB本社ロビーと中継で結び、そして日高の足跡も紹介された。中継では[[大友寿郎]][[アナウンサー]]が[[リポーター]]で登場した。
 
=== 局部露出事件と番組の終了 ===
番組[[スポンサー]]に[[サッポロビール]]がついていたため、日高とゲストのトークの際には[[ビール]]が用意され、実際に飲みながらトークが展開された。そのため、[[吉幾三]]がゲスト出演した1992年9月20日の放送では、ビールを飲みすぎた吉が泥酔状態となりカメラの前で尻を露出。これに対する[[視聴者]]からの苦情がSTVと当時ネットしていたRABに殺到したため、STVは急遽翌週の同番組の放送を休止し、[[特別番組]]に切り替えた。
 
この事件以降は当日に事前[[収録]]しての放送に変更された。さらに、一部提供スポンサーが廃業し、撤退するなどの諸事情があったことから、[[1994年]][[12月25日]]をもって5年3か月間の放送に幕を下ろした。