「瀧谷不動明王寺」の版間の差分

宗教法人名を追記
(宗教法人名を追記)
}}
 
'''瀧谷不動明王寺'''(たきだにふどうみょうおうじ)は[[大阪府]][[富田林市]]彼方(おちかた)にある[[真言宗智山派]]の仏教寺院。日本三不動のひとつ<ref>いずれの寺院をもって「日本三不動」と見なすかについては諸説ある。</ref>。山号は瀧谷山。正式な寺号は明王寺。宗教法人としての登録名は「瀧谷不動明王寺」<ref>[http://www.pref.osaka.lg.jp/shigaku/shukyo/index.html 大阪府所轄の宗教法人](大阪府公式サイト、大阪府の宗教法人名簿へのリンクあり)</ref>
 
一般には山号の瀧谷山にちなんで'''滝谷不動'''、'''滝谷不動尊'''と言う。また、「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれる。<!--毎月28日の[[縁日]]には不動尊周辺の[[道路]]が[[歩行者天国]]になる。それゆえ近隣にある[[初芝富田林中学校・高等学校]]では、スクールバスが運行できず、毎月28日は休校となる。-->
寺伝によれば、[[821年]]([[弘仁]]12年)に[[空海]]が[[龍泉寺 (富田林市)|龍泉寺]]に参籠したときに、国家安泰、万民化益を願い、一刀三礼で[[不動明王]]・[[矜羯羅童子]](こんがらどうじ)・[[制多迦童子]](せいたかどうじ)の像を刻み、それら3体の仏像を祀るために諸堂が造営されたことを起源とするという。造営当初は今より、約1[[キロメートル|km]]離れた[[嶽山]](だけやま)の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。
 
[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]になると[[楠木正成]]が[[嶽山城|嶽山]]に[[築城]]し、守護仏として瀧谷不動明王寺の不動明王を崇敬した。[[1360年]]([[正平 (日本)|正平]]15年)に[[足利義詮]]が嶽山城・[[金胎寺城 (河内国)|金胎寺城]](こんたいじじょう)を攻め、そのときの兵火で諸堂が焼失した。伝承によれば、このときに不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子は[[滝]]の下に移されて焼失を免れた。その後、[[盲目]]の老僧が現れて、瀧谷不動明王寺の不動明王の霊験を人々に説いて、二[[間]]四面の小堂を建立して礼拝していたが、まもなく老僧は晴眼(せいがん)(眼が見えること)になり、姿を消したという。この盲目の老僧は、[[弘法大師]]の[[化身]]であるとも、また、弘法大師が作った不動明王が霊験あらたかであることを教えたと伝えられている。この説話により、眼病平癒を願う参詣者が多い。
 
[[1462年]]([[寛正]]3年)に[[畠山政長]]と[[畠山義就]]との間で獄山において[[合戦]]があり、そのときの兵火で再び焼失。[[慶長]]年間(1596年〜1615年)に三度目の再興が行われて、現在に至っている。
*[[国道170号]]旧道・本町交差点(富田林駅前)から[[大阪府道・奈良県道705号富田林五條線|府道705号富田林五條線]]、[[大阪府道201号甘南備川向線|府道201号甘南備川向線]]を経て、中佐備交点で[[大阪府道202号森屋狭山線|府道202号]]を西へすぐ。
:(こちら側に駐車場がある。また、縁日に運行される富田林駅方面への路線バスのバス停もこちら側にある。)
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
[http://www.takidanifudouson.or.jp/ 瀧谷不動明王寺]
* [http://www.kinki36fudo.org/ 近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ]
 
== 脚注 ==
<references />
 
{{commons|Category:Takidani-hudoumyououji}}