「フォルバック」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
fr:Forbach le 27 mars 2019 à 11:16. (CEST UTC+2)より人口統計表作成、言語節翻訳
25行目:
|siteweb=[http://www.mairie-forbach.fr Mairie de Forbach]
|}}
'''フォルバック''' ('''Forbach''')は、[[フランス]]、[[グラン・テスト地域圏]]、[[モゼル県]]の[[コミューン]]。周辺コミ境を接する[[ドイツ]]の[[ザールブリッケン]]と[[コナベショを含めれば人口約85,000人の都市圏]]を形成している。
 
==地理・交通==
36行目:
 
==歴史==
[[File:Forbach Butte de Schlossberg.jpg|left|thumb|200px|フォルバック市街を見下ろすシュロスベールの丘]]
フォルバック周辺には古代から人が定住していた。[[ケルト]]、そしてローマ人が住んでいた。フォルバックという地名はゲルマン語由来のもので、土地の状況を表している。Bachとは渓流を、For(Forst)とは森を意味する。ガロ=ローマ時代、メス=[[マインツ]]間(Warndtの南東)を軍事用街道が通っていた。この道がおそらく、丘のふもとにあった村の発展を促したとみられる。
 
63 ⟶ 64行目:
 
コミューンは、経済危機と再雇用で勇敢な歩みを続けている。
 
==人口統計==
2016年時点のコミューン人口は21627人で<ref>Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016. </ref>、2011年時点の人口より0.31%増加した。
{| class="wikitable" style="font-size:100%"
|-
! 1962年
! 1968年
! 1975年
! 1982年
! 1990年
! 1999年
! 2004年
! 2016年
|-
| 21704
| 23120
| 25244
| 27187
| 27076
| 22807
| 21956
| 21627
|}
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini<ref>http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=14339</ref>、2006年以降[[INSEE]]<ref>https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-57227</ref><ref>http://www.insee.fr</ref>
 
==文化==
フォルバックでは、いくつかの言語が話されている。
*フランス語(フランス共和国の公用語)
*ドイツ語(コミューンでは、出版物、信仰、歌唱で例外的に使われる)
*ライン・フランケン語(Rheinfränkisch) - 西中部ドイツ語の一種。プラット(Platt)と呼ばれる方言の使用は、フォルバックで衰退してきている。
 
1790年、フォルバックの言語行政はニ言語となっており、プラットが恒常的に使われた。1794年、法律により、フランス語以外の言語の公的機関での使用が禁止された。1850年、フランス語は広まっているが、教理問答と祭式はドイツ語で行われていた。住民は常にフランス語とドイツ語の出版物を読んだ。方言は日常会話で使われた。1870年、[[普仏戦争]]でフランスが敗北しドイツに占領され、少数派が町から流出した結果、ドイツ文化が徐々に導入され始め、工業化した町にドイツ人移民が定住した。1872年に学校は完全にドイツ語化された。プラットは日常言語のままだった。1918年、ロレーヌがフランスに復帰し、フランス語が不可欠となる。フォルバックでは、教育現場で徐々にフランス語化が進む。1926年、教理問答と祭式はしばしばドイツ語で行われた。[[レーモン・ポアンカレ]]大統領はフランス語と方言のニ言語政策を支持し、これが原因で議員や司教から敵対的な反応が起きる。[[第二次世界大戦]]が始まるまで状況は変わらなかった。
 
1940年、モゼル県が[[第三帝国]]に併合される。授業はドイツ語のみとなる。ドイツ語を母語とする教師がフォルバックの様々な学校に配置された。フランス語は禁止された。使用されるのはドイツ語のみとなる。プラットは住民が話し続けた。
 
1945年以降、強制的なフランス語化が行われる。1926年の、学校におけるドイツ語教育の法律は、1972年まで暫定的に停止されたままだった(この年より初等教育でドイツ語が復活する)。プラットは長い間衰退し、高齢者の日々の交流や、特定の人気のある表現(演劇、歌唱、詩作)でのみ生き残った。
 
1986年、[[バカロレア]]における地域言語と文化の選択科目で、モゼル県の言語と文化が採用された。
 
バイリンガルの有名な歌手として、フォルバック出身のパトリシア・カースを挙げることができる。6歳まで彼女はフランス語を話せず、母語は方言のプラットであった。
 
==出身者==
69 ⟶ 110行目:
==姉妹都市==
*{{flagicon|Germany}} [[フェルクリンゲン]]、[[ドイツ]]
*{{flagicon|Italy}} [[ラヴァヌーザ]]、[[イタリア]]
*{{flagicon|Romania}} タルグ・ジウ、[[ルーマニア]]
 
==脚注==
{{Reflist}}
 
{{Normdaten}}