「鳰の湖真二」の版間の差分

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幸いにも復帰後は後遺症などに悩まされることもなく、むしろ調子を上げた。2007年3月場所に幕下に昇進すると、以後は幕下中位に定着するようになった。東幕下16枚目に上がった2010年7月場所で5勝2敗と勝ち越し、自己最高位となる西幕下6枚目の位置で迎えた翌9月場所でも4勝3敗と勝ち越し、続く11月場所でも西幕下4枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌2011年1月場所において新十両へ昇進した。第二新弟子検査を経ての関取は、[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]・[[磋牙司洋之|磋牙司]]・[[益荒海幸太|益荒海]]に続いて4人目のこととなった。その1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、[[大相撲八百長問題]]による同年3月場所の中止を挟んで、同年5月技量審査場所において幕下へ陥落した。
 
東幕下4枚目に番付を下げて迎えた2011年5月技量審査場所では3勝4敗と負け越したものの、大相撲八百長問題により多数の引退力士が出た影響で、翌7月場所では負け越しながら東幕下筆頭へと番付が上がった。その7月場所では5勝2敗と勝ち越し、翌9月場所において十両へ復帰した。再十両となった9月場所は9勝6敗と勝ち越し、続く11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを決め、翌2012年1月場所に新入幕を果たした。滋賀県出身者の新入幕は1993年3月場所の[[蒼樹山秀樹|蒼樹山]]以来18年10ヶ月ぶりであった。その1月場所では5勝10敗と大敗して、翌3月場所では十両へ陥落した。同年5月場所前の左肩亜脱臼の影響もあって<ref>『相撲』2012年5月号58頁</ref>以後1年余りを十両で過ごした。2013年5月場所では序盤で左膝を痛めたものの、終盤の5連勝で何とか勝ち越しを果たした。しかし翌7月場所前の稽古で状態が悪化。7月場所は3日目の双大竜戦以外を全て負けて1勝14敗の大敗を喫し、翌9月場所では西十両4枚目から一気に幕下に陥落した。幕下陥落後も7場所続けて負け越し、ついには0072007年1月場所以来となる三段目への陥落を余儀なくされた。三段目に陥落した時、師匠の定年まで頑張って取りたいということで現役続行。同年11月場所は復調し、6勝1敗の好成績を残して1年半ぶりの勝ち越しを手にした。以降は主に幕下中位での土俵が続いている。
 
2015年11月場所13日目の取組終了後に師匠の[[北の湖敏満]]が急逝し、千秋楽となる11月22日に遺体が福岡から帰京。前日に七番相撲を取り終え帰京していた鳰の湖が、北の湖夫人の小畑とみ子のコメントをマスコミの前で代読した<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1569844.html 北の湖さん遺志…妻とみ子さん表出ず代読「誇りに」] 日刊スポーツ 2015年11月22日</ref>。師匠が死去したことで意気消沈した鳰の海であったが「自身より師匠と関係が深かった大露羅さんはもっと辛い思いをしているのに頑張っているから俺も頑張ろう」とここでも現役続投を決意。