「寧遠県」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
54行目:
 
== 歴史 ==
[[秦|秦代]]、県域には[[舂陵県]][[泠道県]]の2県が設置されていた。[[前漢|漢代]]になると[[舂陵侯国]]の管轄地域となり[[営道県]]及び[[泠道県]]が設置された。[[紀元前45年|前45年]]([[初元]]4年)、舂陵侯国は泠道県に編入されている。[[新|新朝]]が成立すると泠道県は[[泠陵県]]、[[営道県]]は[[九疑亭]]と一時改称されたが、[[25年]]([[建武 (漢)|建武]]元年)、[[後漢]]により旧称に戻されている。
 
[[272年]]([[鳳凰 (呉)|鳳凰]]元年)、[[呉 (三国)|呉]]は泠道の一部に[[舂陽県]]を新設、[[東晋]]の[[永和 (東晋)|永和]]年間に舂陽県は舂陵県と改称されている。
 
[[589年]]([[開皇]]9年)、[[隋|隋朝]]は舂陵泠道の両県を[[営道道]]に編入、[[617年]]([[大業]]13年)には営道県は[[梁興県]]に改称されている。[[621年]]([[武徳]]4年)、[[唐|唐朝]]は梁興県を[[唐興県]]と、[[705年]]([[長寿 (武周)|長寿]]2年)には[[武盛県]]、[[724年]]([[神龍 (唐)|神龍]]元年)には再び唐興県、[[724年]]([[天宝 (唐)|天宝]]元年には[[延唐県]]と改称された。[[五代十国時代]]には[[後梁]]により[[延昌県]]と改称されたが、[[後唐]]により再び延唐県、[[942年]]([[天福 (後晋)|天福]]7年)には[[後晋]]により[[延熹県]]と改称された。
 
[[965年]]([[乾徳 (宋)|乾徳]]元年)、[[宋 (王朝)|宋朝]]により延熹県は'''寧遠県'''と改称された。