「川島令三」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
12行目:
そこで製品<ref group="注釈">空気清浄機。営業部門からの要望に応えるのに躍起になったと前著で語っている</ref>の改良を手がけた経験から、鉄道の改善策に関しても「できないと反論する前に、まずやってみろ」というスタンスを身につけたと語る<ref>川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、268ページ</ref>。その後鉄道専門出版社「[[ジェー・アール・アール]]」設立に参画。'''鉄道アナリスト'''と自称<ref group="注釈">川島の他、広岡友紀が鉄道アナリストを自称している。</ref>し、著述活動を主に活動、[[鉄道事故]]などの際はテレビ番組にコメンテーターとして出演することも多い。
[[内田百間|内田百{{CP932フォント|閒}}]]や[[宮脇俊三]]のような
川島が目指すところは「鉄道の復権」(関西に関しては「[[私鉄|民鉄]]復権」も含む)であり、自らが取り上げた路線がさらに利用しやすくなることを願ってやまない旨を著書に記したこともある。主張はほぼすべて[[費用|コスト]]や実情を度外視した具体性に乏しい妄想、理想ばかりであり、特定の鉄道事業者を過度に賞賛する一方でその逆も見られるといった、個人
川島は小学生時代から鉄道に興味を持ち、地元の[[阪神電気鉄道]]の愛好者となる。現在でも阪神電鉄には造詣が深く<ref group="注釈">[[阪神電気鉄道のダイヤ改正]]案は、幼少期以来(記事にするかは別として)現在まで書き続けてきたと語っている(川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、93-94ページ)</ref>、
== 主張・提言 ==
|