「フローレンス・ナイチンゲール」の版間の差分

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Torumyax (会話 | 投稿記録)
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[[ファイル:Nightingale-illustrated-london-news-feb-24-1855.jpg|thumb|300px|看護婦として戦傷兵を見舞うナイチンゲール(1855年)]]
こうした経緯を経て、彼女は[[ユスキュダル|スクタリ]]病院の看護師の総責任者として活躍した。後に判明することであるが、着任後に死亡率は上昇 (42%) したものの、『衛生委員会』の査察で衛生状態の改善により好転した。当時、その働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれた。看護師を「[[白衣の天使]]」と呼ぶのは、ナイチンゲールに由来する。夜回りを欠かさなかったことから、「ランプの貴婦人(または光を掲げる貴婦人)」とも呼ばれた。ナイチンゲール自身はそういったイメージで見られることを喜んでいなかったようである。本人の言葉としては、「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」が知られる。
 
ナイチンゲールの従軍後の[[1855年]]、戦時省と陸軍省が合併すると若干事態は好転した。新陸軍省は衛生委員会を組織し、現地へ調査団を派遣した、そして、ナイチンゲールの報告どおり、病院内を衛生的に保つことを命令した。この命令の実施により、2月に約42%まで跳ね上がっていた死亡率は4月に14.5%、5月に5%になったことが後に判明した。兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、'''病院内の不衛生'''(蔓延する[[感染症]])によるものだったと後に推測された。