「ジョン・バカン」の版間の差分

 
1935年になるとバカンの作品は、話は大幅に変更されたものの、[[アルフレッド・ヒッチコック]]の『[[三十九夜]]』として[[ロバート・ドーナット]]がリチャード・ハネイ役にあてられて映画化された。同年5月23日にはバカンは[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]を授与されることになり<ref>{{London Gazette| issue=34164| startpage=3443| date=28 May 1935| accessdate=29 March 2009}}</ref>、さらに6月1日にはジョージ5世からオックスフォード州エルズフィールドのトゥイーズミュア男爵に叙され貴族に列したが、これはカナダ総督への任命に先立って行われた。[[カナダ首相]][[リチャード・ベッドフォード・ベネット]]が総督の人選について野党[[自由党 (カナダ)|自由党]]の指導者[[ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング]]に意見を求めたとき、マッケンジー・キングは国王がバカンに平民のまま総督職を務めさせることを薦めた<ref>{{Cite book| last=Reynolds| first=Louise| title=Mackenzie King: Friends & Lovers| publisher=Trafford Publishing| year=2005| location=Victoria| page=124| url=http://books.google.com/?id=8eZJQJOcTJkC&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=false| isbn=978-1-4120-5985-5| ref=CITEREF_Reynolds_2005}}</ref>ものの、最終的にジョージ5世は貴族によって自身が代理されることを主張し押し切った。
バカンの名前は早くから総督候補としてマッケンジー・キングから国王に推挙されていた。すでに1924年にバカン夫妻は当時カナダ首相であったマッケンジー・キングの客としてキングズミアの別荘を訪れており、キングはバカンについて深い感銘を受けて絶賛している。翌年のある夕方にキングは総督のバイング・オブ・初代ヴィミー・オブ・ビング子爵ジュリアン・ビングにバカンが後任として適当であることを伝え、バカンとは友人であったバイング自身も同意していた。こうした意向は時を経て英国政府に伝えられ、バカン自身も打診を受けているが、この時点では彼は引き受けたがらなかった。というのもバイングは1926年に起きた国制危機についてバカンに書き送っており、同時にマッケンジー・キングをけなしていたからである<ref>{{Harvnb| Reynolds| 2005| p=125}}</ref>。
 
=== カナダ総督 ===
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