「星野光多」の版間の差分

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== 生涯 ==
===横浜時代===
[[上野国]][[沼田藩]]の[[戸鹿野村]]の名主の[[星野宗七]]は、[[幕末]]の1868年に[[横浜市|横浜]]の[[外国人居留地]]の近くの堺町に星野屋という店を構えて、[[蚕種紙生糸]]の商売を始めた。1860年に次男、光多が生まれた。遠祖は[[清和源氏]]という{{Sfn|丹羽|1970|p=286}}
 
光多は横浜で外国人と商売をするめに[[英語]]が必要になり、[[アメリカ・オランダ改革教会]][[宣教師]]、[[ジェームス・ハミルトン・バラ|J・H・バラ]]の[[バラ塾]]に通うことになった。
* [[高橋昌郎]]『明治のキリスト教』[[吉川弘文館]]、2003年
* [[守部喜雅]]『日本宣教の夜明け』[[いのちのことば社]]、2009年
* {{Citation|和書|last=丹羽|first=基二|author-link=丹羽基二|others=[[樋口清之]]監修|date=1970-7|title=姓氏 : 姓氏研究の決定版|publisher=[[秋田書店]]|isbn=4253002099|ref=harv}}
 
== 外部リンク ==
* [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782035 『香蘭遺事』]星野光多編 (女学雑誌社, 1889)
{{Normdaten}}
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:ほしの こうた}}
[[Category:戦前日本の牧師]]
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