「カリビアンシリーズ」の版間の差分

 
[[File:Happy Chandler - Harris and Ewing Crop.jpg|200px|thumb|left|[[ハッピー・チャンドラー]]は[[MLBコミッショナー]]を{{mlby|1945|d=y}}11月から{{mlby|1951|d=y}}7月まで務めた。彼が[[メキシカンリーグ]]へ移籍した選手に処分を課し、その一方で[[有色人種]]選手のMLB入りを認めたことが、カリビアンシリーズ設立の遠因となった]]
メキシカンリーグは首都[[メキシコシティ]]周辺の地方リーグとして1925年に創設され、1940年に[[ホルヘ・パスケル]]の球団買収による参入をきっかけに全国規模のリーグへと成長、1946年にパスケルがリーグ会長に就任するとMLBの選手を引き抜き始めた<ref name="samuraij">[[阿佐智]] 「[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161106_2.html 侍ジャパン強化試合 対戦国紹介〜メキシコ野球の歴史〜]」 『[[野球日本代表|野球日本代表 侍ジャパン]]オフィシャルサイト』、2016年11月6日。2019年2月28日閲覧。</ref>。MLB、およびマイナーリーグ統括団体の全米プロ野球リーグ協会({{Lang-en-short|National Association of Professional Baseball Leagues, NAPBL}})から成る "オーガナイズド・ベースボール" は[[タンパリング]]を御法度としていたが、その枠外にいたメキシカンリーグにはオーガナイズド側の規則に従う理由がなかった。メキシカンリーグは例えば、[[セントルイス・カージナルス]]で年俸1万3500ドルだった[[スタン・ミュージアル]]に対し、契約金5万ドル+5年総額12万5000ドルのオファーを出したとされる<ref>[[:en:Bernie Miklasz|Bernie Miklasz]], "[https://www.stltoday.com/sports/baseball/professional/things-to-love-about-the-man/article_12a02ef7-b9d3-5cec-91f8-843d44412f13.html 90 things to love about The Man]," ''[[:en:St. Louis Post-Dispatch|stltoday.com]]'', November 21, 2010. 2019年2月28日閲覧。</ref>。[[MLBコミッショナー]]の[[ハッピー・チャンドラー]]は対抗措置として、メキシカンリーグ移籍選手に5年の追放処分を課すと警告した<ref name="gardella">Thomas S. Mulligan, "[http://articles.latimes.com/1994-10-22/sports/sp-53439_1_major-league He Helped Blaze Free Agents' Trail : Baseball: Gardella challenged the major leagues' antitrust exemption in 1947--and still has second thoughts about the result.]," ''[[ロサンゼルス・タイムズ|latimes]]'', October 22, 1994. 2019年2月28日閲覧。</ref>。結局、ミュージアルや[[ジョー・ディマジオ]]のようなスター選手はMLBに残留したが<ref name="mlbs1491">Steve Treder, "[https://tht.fangraphs.com/tht-annual-2018/1946-major-league-baseballs-1491/ 1946: Major League Baseball’s 1491]," ''[[:en:The Hardball Times|The Hardball Times]]'', 2018. 2019年2月28日閲覧。</ref>、[[サル・マグリー]]や[[ミッキー・オーウェン]]、[[ダニー・ガーデラ]]といった選手たちがメキシコでのプレイを選択した<ref name="gardella" />。この「野球戦争」と呼ばれた選手争奪戦は、メキシコ側の設備の貧弱さや[[審判員 (野球)|審判員]]の不公正な判定が選手に不評で、さらに十分な観客を集められず収益を得られなかったことから、オーガナイズド側の勝利に終わった<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、70頁。</ref>。しかし有期追放処分は覆らず、ガーデラのように[[連邦地方裁判所]]へ訴えを起こす選手も出てきた<ref name="gardella" />。
 
MLBにとって1946年は、[[第二次世界大戦]]終結後初の開幕戦を迎えるシーズンだった。ミュージアルやディマジオらが従軍による1シーズン以上の欠場――といっても彼らは[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]の戦地には送られず、[[アメリカ合衆国本土]]や[[ハワイ州|ハワイ準州]]などで兵士向けの壮行野球をしていたが<ref name="etoworlds">Robert Weintraub, "[https://slate.com/culture/2013/04/baseball-in-world-war-ii-the-amazing-story-of-the-u-s-militarys-integrated-world-series-in-hitler-youth-stadium-in-1945.html Three Reichs, You’re Out]," ''[[:en:Slate (magazine)|Slate Magazine]]'', April 2, 2013. 2019年2月28日閲覧。</ref>――から復帰する年であり、ガーデラがメキシカンリーグを新天地に選んだのも、[[ジョニー・マイズ]]の復員による出場機会喪失の恐れが背景にあった<ref name="gardella" />。この大戦で、有色人種のアメリカ人が白人とともに[[アメリカ軍]]の兵士として戦ったことで、人種間の融和を求める声が有色人種だけでなく白人からも挙がるようになった。1945年9月には、[[ヨーロッパ作戦戦域]]の兵士による野球大会の優勝決定シリーズが[[ドイツ]]の[[ニュルンベルク]]と[[フランス]]の[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で行われ、特にニュルンベルクでは5万人近い兵士が観戦に訪れるなかで白人と[[黒人]]の混成チームがプレイしたのみならず、優勝チームの祝勝会でも白人と黒人が隔離されず同じ席で食事をとった<ref name="etoworlds" />。また同年、チャンドラーはコミッショナーに就任すると「黒人青年が、[[沖縄戦|沖縄]]や[[ガダルカナル島の戦い|ガダルカナル]]で立派にやれたのなら、野球界でも立派にやれるだろう」と述べた<ref>{{Harvnb|佐山|1994}}、170頁。</ref>。この流れを受け、[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]はロビンソンと[[ジョン・ライト (野球)|ジョン・ライト]]の2選手と契約、1946年に傘下マイナーリーグでプレイさせたのち、残ったロビンソンを翌1947年にメジャーへ昇格させてデビューさせた。これを機に他球団も、球団によって程度に差があるとはいえ<ref group="*">1947年4月15日に[[ジャッキー・ロビンソン]][[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]でデビューすると、その3か月後には[[クリーブランド・インディアンス]]と[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]]が続いた。一方、同年に存在していた16球団のうち、有色人種選手のデビューが最も遅れたのは[[ボストン・レッドソックス]]で、ロビンソンのデビューから12年後の1959年まで待つこととなる。</ref>、有色人種選手の採用に動き始めた。
 
有期追放処分を受けた選手のなかには、メキシカンリーグ終了後に各地のウィンターリーグへ出場する者もいた。例えば、メキシコ行きを選んだ選手のなかに、投手の[[マックス・ラニアー]]がいる<ref name="gardella" />。彼はキューバの "[[リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル]]"(LCB)に、[[アラクラーネス・デル・アルメンダーレス]]の一員として参加していた<ref name="cubanparadise" />。こうした状況下でLCBは、オーガナイズド陣営非加盟ながら処分への協力を要請された。LCBは、ここで協力しておかないと今後MLB入りするであろう有色人種選手の派遣を拒否される可能性があったため、この要請を受け入れ1947年7月にNAPBLへ入会した<ref name="origenserie" />。この動きにプエルトリコやパナマ、ベネズエラの各ウィンターリーグが追随した。この3か国・地域各リーグは同年12月のNAPBL総会で入会の意向を表明し、翌1948年4月にはキューバも交えてカリブ海プロ野球連合({{lang-es-short|Confederación de Béisbol Profesional del Caribe, CBPC}})を設立した<ref name="sabrcbpc">Lou Hernández, "[https://sabr.org/research/napbl-gathering-miami-gave-birth-caribbean-series NAPBL Gathering in Miami Gave Birth to the Caribbean Series]," ''[[アメリカ野球学会|Society for American Baseball Research]]'', 2016. 2019年2月28日閲覧。</ref>。CBPC初代コミッショナーには、キューバ人の[[ラファエル・インクラーン]]が就任した<ref>Enrique Rojas, "[http://espndeportes.espn.com/beisbol/nota/_/id/5561827/ Juan Francisco Puello enfrenta oposición caribeña para reelección]," ''[[:es:ESPN Deportes|ESPN Deportes]]'', 30 de abril de 2019. 2019年5月9日閲覧。</ref>。
 
なお、メキシカンリーグ移籍選手に対する有期追放処分は、1949年6月に前倒しで解除された<ref name="gardella" />。これにより処分対象選手は、MLBやその傘下のマイナーリーグはもちろん、CBPC各国・地域のウィンターリーグにも出場することが可能になった。この解除のきっかけは、ガーデラが起こした訴訟である。MLBの保留条項は1922年に、[[合衆国最高裁判所]]がMLBを[[反トラスト法]]の適用除外と認定したことで法的根拠を得ていた<ref>{{Harvnb|シマンスキー他|2006}}、113-114頁。</ref>。しかし1949年2月、[[合衆国控訴裁判所]]がガーデラ側に有利な判断を下したことで、MLBはその特権を失うリスクを負ったため、和解のために処分解除に動いた<ref>Charlie Weatherby, "[https://sabr.org/bioproj/person/c141e904 Danny Gardella]," ''Society for American Baseball Research'', 2014. 2019年3月24日閲覧。</ref>。
夏のシュガーキングスがキューバを去ったあと、冬のLCBが11月15日から2月15日にかけて行われた<ref>Ciro Bianchi Ross, "[http://www.juventudrebelde.cu/columnas/lecturas/2014-02-01/en-tres-y-dos En tres y dos]," ''[[:es:Juventud Rebelde|Juventud Rebelde]]'', 1 de febrero de 2014. 2019年4月28日閲覧。</ref>。しかしこのシーズン、LCBにアメリカ人選手の姿はなかった。[[MLBコミッショナー]]の[[フォード・フリック]]がアメリカ人選手に対し、LCBでプレイしないよう要請したためである<ref>Ben Strauss, "[https://www.nytimes.com/2013/03/24/sports/baseball/remembering-cubas-minor-league-team.html In Havana, Remembering a Minor League Championship]," ''[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]'', March 23, 2013. 2019年4月28日閲覧。</ref>。フリックはオーガナイズド・ベースボールの長として、さらにキューバ対策を講じる。1961年の第13回カリビアンシリーズは、CBPC加盟国・地域の持ち回り順の通りであればハバナ開催の予定だったが<ref name="trabaja">Hassan Pérez Casabona, "[http://www.trabajadores.cu/20150902/cuba-estados-unidos-pasado-y-futuro-de-una-relacion-ii-parte-y-final/ Cuba –Estados Unidos: pasado y futuro de una relación (II Parte y Final)]," ''[[:es:Trabajadores (periódico)|Trabajadores]]'', 2 de septiembre de 2015. 2019年4月28日閲覧。</ref>、フリックは「選手の安全が保証されない」として、キューバの開催権および出場権を剥奪した。この「選手の安全が保証されない」という理由は、1959年7月のシュガーキングス戦発砲事件のときに聞かれたのと同じものだった<ref name="cubadedate">Juan A. Martínez de Osaba y Goenaga, "[http://www.cubadebate.cu/noticias/2015/01/29/origen-y-esencia-de-las-series-del-caribe/ Origen y esencia de las Series del Caribe]," ''[[Cubadebate]]'', 29 de enero de 2015. 2019年4月28日閲覧。</ref>。1960-61シーズン終了後にはLCB内部からも、[[アラクラーネス・デル・アルメンダーレス]]が「フィデル・カストロが権力の座にいる限り」LCBでの活動を休止すると発表するなど、反カストロの動きがあった<ref>Cesar Brioso, USA TODAY Sports, "[https://www.usatoday.com/story/sports/2016/11/27/fidel-castro-cuba-baseball-sugar-kings-cuban-league/94517414/ How Fidel Castro's revolution ended professional baseball in Cuba]," ''[[USAトゥデイ|USA TODAY]]'', November 28, 2016. 2019年4月28日閲覧。</ref>。カストロはLCBの解散に踏みきり、新たな国内トップリーグとして[[アマチュア]]の "[[セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル]]" を立ち上げた。CBPCは定款で「どの国・地域であれプロでないリーグの加盟はできない」としており<ref name="cubadedate" />、カリビアンシリーズへのキューバ勢の出場が断たれた。
 
[[File:1962 Baseball Guide p2.jpg|200px|thumb|[[フォード・フリック]]は[[ハッピー・チャンドラー]]を引き継ぎ、[[MLBコミッショナー]]を{{mlby|1951|d=y}}9月から{{mlby|1965|d=y}}11月まで務めた。彼がオーガナイズド・ベースボールの長として[[キューバ]]からの撤退を進めたことで、カリビアンシリーズは活動を休止した]]
フリックがカリビアンシリーズのキューバ開催取りやめを発表した際に、代替地とされたのがベネズエラの首都[[カラカス]]だった<ref name="trabaja" />。1961年、キューバを除くCBPC加盟3か国・地域は、カラカスで大会を開催した。しかしこれは、カリビアンシリーズの第13回大会としてではなく、"[[:es:Serie Interamericana|セリエ・インテラメリカーナ]]" という別大会の扱いだった。1946年から1950年までの同名大会では開催地も招待球団も固定されていたが、今回のセリエ・インテラメリカーナではカリビアンシリーズと同様、持ち回り開催地にCBPC傘下[[ウィンターリーグ]]優勝球団が集結する方式がとられた。1964年この大会、のちに4か国目として[[ニカラグア]]が加わり、った。国の "[[リーガ・ニカラグエンセ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル]]" は1956年に夏季リーグとして創設され、翌年にNAPBLへ加盟しウィンターリーグへ移行していた<ref>Rory Costello, "[https://sabr.org/bioproj/person/148ebbf8 Julio Moreno]," ''Society for American Baseball Research''. 2019年5月9日閲覧。</ref>。セリエ・インテラメリカーナにおいてニカラグア勢は、1963年大会で[[インディオス・デル・ボーエル]]が準優勝<ref>"[https://www.elnuevodiario.com.ni/deportes/340292-aquel-boer-escandalo/ Aquel Bóer del escándalo]," ''[[:es:El Nuevo Diario|El Nuevo Diario]]'', 27 de enero de 2015. 2019年5月9日閲覧。</ref>、自国の首都[[マナグア]]で開催された1964年大会では[[ティグレス・デル・シンコ・エストレージャス]]行われた優勝と<ref>Gerald Hernandez, "[https://www.laprensa.com.ni/2018/08/30/deportes/2465467-nicaragua-con-posibilidad-de-participar-en-serie-del-caribe-en-2020 Nicaragua with the possibility to participate in the Caribbean Series since 2020]," ''[[:es:La Prensa (Nicaragua)|La Prensa]]'', 30 de agosto de 2018. 2019年5月9日閲覧</ref>、一定の成績を残かした。だがこの大会も長くは続かず、1965年大会を最後に打ち切られた。
 
=== 大会再開、ドミニカ共和国とメキシコの参入 ===
カリビアンシリーズは、[[プエルトリコ]]の "[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ|リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコ]]" 会長[[ロドリゴ・オテロ・スーロ]]らの尽力により、1961年大会中止から9年後の[[1970年のカリビアンシリーズ|1970年に再開]]された<ref>Juan Francisco Puello Herrera (Comisionado de Béisbol del Caribe), "[https://listindiario.com/el-deporte/2017/03/02/456123/ Dignidad y Serie del Caribe]," ''Listín Diario'', 2 de marzo de 2017. 2019年5月19日閲覧。</ref>。このとき、参加国・地域として従前のプエルトリコと[[ベネズエラ]]のほか、新たに[[ドミニカ共和国]]が加わった。続いて翌[[1971年のカリビアンシリーズ|1971年大会]]からは、[[メキシコ]]も名を連ねた。この4か国・地域体制は、[[2013年のカリビアンシリーズ|2013年大会]]までの43年間にわたって継続した。
1970年からはプエルトリコとベネズエラに[[ドミニカ共和国]]を加えた3か国・地域で大会を再開。翌年からは[[メキシコ]]が加わり、4か国・地域体制となった。
 
ドミニカ共和国では1907年に[[ティグレス・デル・リセイ]]が設立され、この球団を中心に行われていた都市対抗試合が発展して、1921年に最初のプロリーグが発足した<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、43頁。</ref>。このリーグは時の[[独裁者]][[ラファエル・トルヒーヨ]]が人気取りに利用するほど活況を呈したが、その際の放漫経営から1937年をもって活動を休止した<ref group="*">当時のプロリーグ4球団のうち[[ティグレス・デル・リセイ]]と[[レオネス・デル・エスコヒード]]を、[[ラファエル・トルヒーヨ]]は1937年に合併させて[[:es:Dragones de Ciudad Trujillo|ドラゴーネス・デ・シウダートルヒーヨ]]を結成した。このチームは[[サチェル・ペイジ]]や[[ジョシュ・ギブソン]]、[[マーティン・ディーゴ]]らを獲得して優勝したものの、高額の選手年俸が原因で財政破綻し、1年限りでの活動停止に追い込まれた。残りの2球団だけではリーグ戦を行うことはできなかった。</ref><ref>"[https://www.licey.com/el-campeonato-del-1937/ El Campeonato del 1937]," ''[[ティグレス・デル・リセイ|Licey.com]]'', 1 de noviembre de 2016. 2019年5月9日閲覧。</ref>。国内プロ野球が不在の間に国外でプロとして活動する選手もおり、[[1950年のカリビアンシリーズ|1950年の第2回カリビアンシリーズ]]にはプエルトリコ代表[[クリオージョス・デ・カグアス]]から、[[グイグイー・ルーカス]]と[[テテーロ・バルガス]]の2選手がドミニカ共和国出身者として初めて出場している<ref>Luichy Sánchez Peralta, "[https://listindiario.com/el-deporte/2016/01/31/405948/gigi-lucas-un-inmortal-olvidado Güigüí Lucas, ¿Un inmortal olvidado?]," ''Listín Diario'', 31 de enero de 2016. 2019年5月9日閲覧。</ref>。翌1951年、プロ野球が "[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ]]"(LIDOM)として再開された。ただし、ドミニカ共和国のプロ野球はプエルトリコや[[キューバ]]などの周辺他国・地域と異なり、夏季リーグとして運営されていた。MLBは1947年の[[有色人種]]選手解禁以降、[[カリブ海]]沿岸地域を有望選手の供給源とみなすようになり、ドミニカ共和国の選手をMLB入りさせるためにLIDOMと業務提携を締結、1955-56シーズンからLIDOMを[[ウィンターリーグ]]にさせた<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、46-49頁。</ref>。
 
メキシコからは、"[[リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ]]"(LMP)優勝チームへカリビアンシリーズ出場権が与えられる。LMPは、[[メキシカンリーグ|夏季リーグ(メキシカンリーグ)]]とは別組織である<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、72-73頁。</ref>。LMPは1945年に "リーガ・デ・ラ・コスタ・デル・パシフィコ" として発足した。創設時の球団数は4で、球団本拠地は[[ソノラ州]]の[[エルモシージョ]]と[[グアイマス]]、[[シナロア州]]の[[クリアカン]]と[[マサトラン]]にあった<ref>Aarón Arguijo Gamiochipi, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/1301883.laguneros-han-dejado-su-brillo.html Laguneros han dejado su brillo]," ''[[:es:El Siglo de Torreón|El Siglo de Torreón]]'', 13 de enero de 2017. 2019年5月9日閲覧。</ref>。メキシコへの野球伝来ルートのひとつがこのあたりにあるとされ、グアイマスがメキシコ野球発祥の地を自認するなど、このあたりは野球人気が高い地方である<ref name="samuraij" />。その後、リーグ名は "パシフィコ"({{lang-es-short|Pacífico}}=[[太平洋]])という単語が外されて "リーガ・インベルナル・デ・ソノラ" や "リーガ・インベルナル・ソノラ=シナロア" など、[[メキシコの州|州]]名を入れた名称に変わった。1970-71シーズンより、CBPCの要請に応じてリーグ名をLMPとしたことで、カリビアンシリーズへの参入を認められた<ref>Sergio Luis Rosas, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/685936.el-reino-del-beisbol-mexicano.html El reino del béisbol mexicano]," ''El Siglo de Torreón'', 11 de diciembre de 2011. 2019年5月9日閲覧。</ref>。LMPの球団数は年々増加し、1970-71シーズンには発足時の倍の8にまで増えていたが、球団本拠地はいずれもソノラ州かシナロア州だった。
 
1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる<ref name="cubarejoin">Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130611&content_id=50308048&c_id=mlb Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960]," ''MLB.com'', June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。</ref>。特に2006年3月、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]において[[野球キューバ代表|キューバ代表]]が準優勝の好成績を収めると、監督の[[イヒニオ・ベレス]]が「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった<ref>Guillermo Celis, "[http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2006/columns/story?id=2377453 Cuban skipper is loyal to flag, people, players]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。</ref>。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた<ref>"[https://www.elnuevodia.com/deportes/beisbol/nota/cubaregresariaalaseriedelcaribeenel2013-1294613/ Cuba regresaría a la Serie del Caribe en el 2013]," ''[[:es:El Nuevo Día (Puerto Rico)|El Nuevo Día]]'', 6 de julio de 2012. 2019年2月28日閲覧。</ref>。折衝の末に2013年6月、翌2014年の大会からキューバが復帰することが決まった<ref name="cubarejoin" />。
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