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== 歴史 ==
[[ファイル:Kashira-vid.jpg|thumb|250px|オカ川対岸から眺めたカシーラの歴史的中心部]]
カシーラは[[1356年]]の記録に、シーラ({{lang|ru|КошираКашира}})という名の村として初出しており、これはコシーラ川(現在のカシルカ川)にちなむ。モスクワ州の町の中でも歴史の古い町である。当時のカシーラはオカ川の北にあり、その場所には現在スタラヤ・カシーラ(旧カシーラ)という村がある。カシーラは[[モスクワ大公国]]の南の国境地帯に位置する町であり、軍事的に重要だったがたびたび破壊された。[[1480年]]には[[タタール|タタール人]]の襲撃に備え[[イヴァン3世]]によりあらかじめ焼き払われた。[[カザン・ハン国]]の王子で後にハンとなったアブドゥッラティーフ(ガブデルラティーフ、在位1496年 - 1502年)はモスクワ大公国に派遣されていた時期にこの町を与えられていた。カシーラの市の紋章にはカザンの象徴である[[ユラン (ロシアの伝承)|ユラン]](竜)があしらわれている。
 
[[ファイル:Kashira-cerk-vvedenija.jpg|thumb|250px|カシーラのヴヴェデニヤ聖堂]]