「大橋家」の版間の差分

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典拠不十分な子孫についてコメントアウト。 『将棋の歴史』に記述がある大橋五郎については残しました。
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*'''[[大橋宗金 (12代)|十二代大橋宗金]]'''([[1839年]] - [[1910年]])。五段。十一代宗桂の子<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E5%AE%97%E9%87%91 コトバンク]</ref>。1905年には隠居して五郎に家督を譲った。
*'''十三代大橋五郎'''。将棋指しではない。当時大橋門下となっていた[[関根金次郎]](当時八段)に家元の権限である段位の審査を一任し、関根の審査に基づいて免状を発行した。
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*'''十四代大橋静子'''([[1914年]] - [[1930年]])。将棋指しではない。有賀家に嫁いだ宗金の長女みよが孫娘を十四代に送って大正期に大橋家の家名を再興したもの。
*'''十五代大橋京子'''([[1902年]] - [[1983年]])。将棋指しではない。みよの三女。家名存続のために十五代となった。大橋家に伝わる江戸時代の将棋に関する資料を日本将棋連盟に寄贈したのち死去。大橋家は十五代で断絶する。
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== 系譜 ==