「インパール作戦」の版間の差分

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7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部を集め、泣きながら次のように訓示した。
:「{{Quotation | 諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが[[皇軍]]か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には[[大和魂]]があるということを忘れちゃいかん。日本は[[神州]]である。神々が守って下さる…」<ref>『責任なき戦場』、206頁。</ref><!-- ただし日時の明記等なく、十分な出典とは言い難い。より適切な出典請う。-->
 
 兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは、戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には[[大和魂]]があるということを忘れちゃいかん。日本は[[神州]]である。神々が守って下さる…<ref>『責任なき戦場』、206頁。</ref><!-- ただし日時の明記等なく、十分な出典とは言い難い。より適切な出典請う。-->|第15軍司令官 牟田口廉也}}
 
退却戦に入っても日本軍兵士達は飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受け、衰弱して[[マラリア]]や[[赤痢]]に罹患した者は、次々と脱落していった。退却路に沿って延々と続く、[[蛆]]の湧いた餓死者の腐乱死体や、風雨に洗われた白骨が横たわるむごたらしい有様から「'''白骨街道'''」と呼ばれた<ref name=nhk20170815 >『[http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170815 戦慄の記録 インパール]』、NHK([http://archive.is/Z9TSl アーカイブ])。</ref>。<!---若しくは「[[靖国]]街道」と呼んだと三村秀氏は主張している。--->イギリス軍の機動兵力で後退路はしばしば寸断される中、力尽きた戦友の白骨が後続部隊の道しるべになることすらあった。[[伝染病]]に罹患した餓死者の遺体や動けなくなった敗残兵は、集団感染を恐れたイギリス軍が、生死を問わず[[ガソリン]]をかけて焼却した他、日本軍も動けなくなった兵士を安楽死させる“後尾収容班”が編成された。また負傷者の野戦収容所では治療が困難となっており、助かる見込みのない者に乾パンと手榴弾や小銃弾を渡し自決を迫り、出来ない者は射殺するなどしている<ref name=nhk20170815 />。