「石原裕次郎」の版間の差分

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* 裕次郎と同じ12月28日生まれの[[渡哲也]]は日活所属だった際、1970年の映画『[[ある兵士の賭け]]』による石原プロの倒産危機を知ると、貯金全額180万円を差し出した。裕次郎が気持ちだけは頂くというと、石原プロ入りを志願した<ref>[<!-- https://www.fnn.jp/posts/00337930HDK -->https://sp.fnn.jp/posts/00337930HDK 「彼は闘えないと思った…」妻が語る“昭和の大スター”石原裕次郎の素顔] - FNN.jpプライムオンライン 2018年7月19日</ref><ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090704_80997.html (24)石原軍団、今でも映画製作の夢(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年7月4日</ref>。
* 関町進は、石原プロの車両部として作品に携わり、石原の逝去前まで付き人兼運転手を務めた<ref>太平洋の果実 第2部 石原裕次郎の贈りもの([[PHP研究所]]) [[増田久雄]]</ref>。
* [[大橋巨泉]]とは映画「[[嵐を呼ぶ男]]」で裕次郎がドラムを叩くシーンでの演技始動で知り合い、当時大橋は[[ジャズ]]評論家・[[放送作家]]という立場だった。しかしお互い昭和9年生まれ(大橋は早生まれ)という繋がりで意気投合。その後「こんばんは裕次郎です」というバラエティー番組で開始途中から構成作家として参加し、テコ入れに成功した。番組終了後も交流を続け、昭和49年限りで引退した長嶋茂雄引退特番が日本テレビで生放送し、大橋は「[[11PM]]」の司会者に転身してて裕次郎は長嶋と親交があるので、特別出演として大橋と再会した。
 
=== その他のエピソード ===
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