「アリー・ハーメネイー」の版間の差分

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2千万人以上の国民が選出したハータミーの勝利は、ハーメネイーに自分の立場の再検討を余儀なくさせた。彼は、新大統領の方針が客観的に社会の要求に応えているとの結論を下した。保守派の宗教・政治運動支持者中には、国民中の人気の急激な低下によって引き起こされた重大な見解の相違が生じた。若干の権威ある宗教活動家、学生及びイスラム革命防衛隊の代表は、過激な保守派の政策に不満を示した。
 
[[1994年]]、大アーヤットラー、モハンマド・アリ・アラキの死後、[[専門家会議 (イラン)]]はハーメネイーを新たな大アーヤットラーであると宣言した。モハンマド・シーラーズィ、ホセイン・アリ・モンタゼリ、ハサン・タバータバーイー・など、何人かの反体制派アーヤットラー達はハーメネイーを大アーヤットラーとして認めることを拒否した。
 
[[En:Mohammad Ali Araki]]
[[1999年]]後半、情報省職員による改革派政治家の暗殺が暴露されたが、その組織者の中には、ハーメネイーが信任する情報省次官もいた。1999年中盤までに、国内情勢は、危機的状況にまで悪化した。ハーメネイーは、ハータミー等と協議し、左派・右派を問わず過激派の出現を許さないことに決めた。彼は、法治主義、並びに憲法で規定された権利と自由の保障を志向した政府の方針への同意を表明した。