「オートヴィル朝」の版間の差分

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== 歴史 ==
オートヴィル家(Maison de Hauteville, イタリア語ではアルタヴィッラ家 Casa d'Altavilla)は、[[フランス王国|フランス]]の[[ノルマンディー公国]]出身の[[ノルマン人|ノルマン系]][[騎士]]の家系であったが、グリエルモ(鉄腕グリエルモ Guglielmo Braccio di Ferro)をはじめとするタンクレードの息子たちが[[南イタリア]]に移住し傭兵として活躍、そのうちロベール・ギスカール([[ロベルト・イル・グイスカルド]])が[[南イタリア]]及び[[シチリア島]]を征服して、[[1059年]]に正式に[[教皇|ローマ教皇]]によってプッリャ・カラブリア[[公爵]]に封じられた。[[1072年]]、ロベルトは弟の[[ルッジェーロ1世 (シチリア伯)|ルッジェーロ1世]]にシチリアを分与して[[伯爵]]とした。ロベルトの息子[[ボエモン1世 (アンティオキア公)|ボエモン1世]]は[[第1回十字軍]]に参加し、[[アンティオキア公国]]を建てた。
 
プッリャ・カラブリア公爵家はロベルトの孫グリエルモ2世の代で直系が絶え、ルッジェーロ1世の息子である[[ルッジェーロ2世]]が継承したことでナポリ・シチリアが統合された。ルッジェーロ2世は[[1130年]]、ローマ教皇から王号を得たことにより、シチリア王国が成立する。
{{familytree | | | | | | | | | | | | | | TNC | | | | | | | | | | | | | | | | |TNC=[[タンクレード・ド・オートヴィル|タンクレード]] }}
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{{familytree | | GLA | | DRG | | UMF | | RBG | | GLP | | | | | | RG1 | | | | | | | | |GLA=グリエルモ1世<br>プッリャ伯|DRG=ドロゴーネ<br>プッリャ伯|UMF=ウンフレード<br>プッリャ伯|SER=セルローネ1世|RBG=[[ロベルト・イル・グイスカルド]]<br>プッリャ・カラブリア公|GLP=グリエルモ<br>プリンチパート伯|RG1='''[[ルッジェーロ1世 (シチリア伯)|ルッジェーロ1世]]'''<br>シチリア伯 }}
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{{familytree | | EMA | | BM1 | | RGB | | GDA | | RIP | | | | | | SMN | | RG2 | | | | | | | | |EMA=エマ|BM1=[[ボエモン1世 (アンティオキア公)|ボエモン1世]]<br>ターラント公、アンティオキア公|SMN='''[[シモーネ・ダルタヴィッラ|シモーネ]]'''<br>シチリア伯|RG2='''[[ルッジェーロ2世]]'''<br>シチリア王|RGB=[[ルッジェーロ1世 (プッリャ公)|ルッジェーロ・ボルサ]]<br>プッリャ・カラブリア公|RBS=ロベルト・スカリオ|GDA=グイード<br>アマルフィ公|RIP=リッカルド・ディ・サレルノ }}
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