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また、スペイン南部を侵攻したノール人たちは[[西フランク王国]]に侵攻、指導者の[[ロロ]]は[[シャルル3世_(西フランク王)|シャルル3世]]と和睦し(サン=クレール=シュール=エプト条約(le traité de Saint-Clair-sur-Epte))、キリスト教に改宗、[[ノルマンディー]]を与えられ、[[911年]]に[[ノルマンディー公国]]を建国した。彼の子孫に当たる[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ギョーム2世]]は、イングランド王[[エドワード懺悔王]]没後、王位継承を主張し、[[1066年]]にイングランドを攻撃、[[ヘイスティングスの戦い]]で[[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]を破り、現在の[[イギリス王室]]の開祖となる[[ノルマン朝]]を創始した([[ノルマン・コンクエスト]])。
 
加えてノルマンディー半島のヴァイキングは地中海に南下、[[ロベルト・イル・グイスカルド|ロベール・ギスカール]]は11世紀半ばには南イタリアを支配し、その弟[[ルッジェーロ1世 (シチリア伯)|ルッジェーロ1世]]は[[1071年]]に[[シチリア島]]を占領、ルッジェーロ1世の息子[[ルッジェーロ2世]]は[[対立教皇]][[アナクレトゥス2世]]から[[シチリア王国|シチリア王]]を認められた([[オートヴィル朝]])。
 
ニューファンドランドのヴァイキングの存在の証拠は、ヴァイキングの遺品と移住の痕跡の発見によって証明された。考古学者の合同チームは[[ルーン文字]]の遺物を発掘したあと、[[1960年]]には[[ランス・オ・メドー]]でヴァイキングの村落を発見した。