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'''王 金平'''(おう きんぺい、[[1941年]][[3月17日]] - )は、[[大日本帝中華民国]]([[台湾]])の政治家。前[[中華民国立法院|立法院長]](4期)。
 
== 人物・来歴 ==
[[日本統治時代の台湾|日本統治下]]の[[台湾]][[高雄州]](現:[[高雄市]])生まれ。[[国立台湾師範大学|台湾師範大学]]理学院数学系を卒業後、実家の食品工場で働く。
 
[[昭和501975年]]、高雄県工業会理事長のときに、[[中国国民党]]から[[中華民国立法院|立法委員]](国会議員に相当)選挙に立候補して当選し、政界入りした。[[平成51993年]]から2期6年間、立法院副院長を務めた後、[[平成111999年]]から立法院長を務めている。[[李登輝]]元総統に近く、国民党内「本土派」の代表的人物ともいわれ、「台湾独立も選択肢の一つ」と発言したことがある。
 
[[平成122000年]][[平成122000年中華民国総統選挙|総統選]]で国民党が敗北した後は、党副主席に就任。[[平成172005年]]3月、[[連戦]]党主席引退を受けて党主席選に立候補したが、対抗馬の[[馬英九]](当時[[台北市|台北市長]])の前に惨敗した。激しい選挙戦を経たため、馬英九の党副主席就任要請を断り、さらに[[平成202008年中華民国総統選挙|2008年総統選]]の副総統候補出馬要請も断った。
 
[[平成182006年]]の一時期は、[[陳水扁]]総統がスキャンダルで辞任した場合、[[呂秀蓮]]副総統が総統に昇格し、王金平が副総統になる可能性が取り沙汰された。
 
[[平成202008年]]7月、[[ヘリテージ財団]]の招きで、ニューヨーク、[[ワシントンD.C.|首都ワシントン]]を訪問(米首都を訪問した台湾要人としては過去最高位)。「強固な同盟の新たな始まり」とのテーマで講演し、アメリカ当局と台湾向け武器供与問題について協議した。
 
[[2008年]]12月、[[ダライ・ラマ]]訪台を[[中華人民共和国]]への配慮から拒否した[[馬英九]]総統に対し、ダライ・ラマの訪台を歓迎する立場から、馬総統に再検討を要望した<ref>{{Cite web
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[[平成252013年]]2月、[[大韓民国|韓国]]での[[朴槿恵]][[韓国大統領|大統領]]の就任式に出席した<ref>{{Cite news|date = 2013-02-25|url = http://n.yam.com/Article/20130225242754|title = 王金平率團參加朴槿惠就職:盼台韓關係更提昇|newspaper = yamNews|language = |accessdate = 2018-01-26}}</ref>。
 
2013年6月に民進党立法委員の会計事件に関して検察側の上訴断念を違法に働きかけた疑いがあるとして9月11日に中国国民党により党籍抹消処分を受けた<ref>{{Cite web
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}}</ref>。
 
[[平成262014年]]3月に中台サービス貿易協定に反対する学生たちが立法院を占拠した際には、「立法院内の問題」として馬英九政権の関与を排除し、自らの主導で与野党間の協議を行う意向を見せている<ref>台湾議会占拠、長期化も 馬総統と議長 足並みに乱れ 産経新聞 2014年3月21日</ref>。
 
[[4月6日]]、王金平は学生側が制定を求めていた立法院などの監視機能を定めた法令案が法制化されるまで、サービス貿易協定の審議を行わないと表明すると共に、学生側に議場から撤退するよう呼びかけた<ref>{{cite news |title=占拠学生の要求、応じる姿勢 台湾立法院長が表明 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2014-4-6 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG464J99G46UHBI007.html |accessdate=2014-4-7| author=鵜飼啓 }}</ref>。この提案を受けて学生側は、「この段階での任務を達成した」として4月10日に立法院から退去することを発表した<ref>{{cite news |title=学生側「10日に退去」と発表 台湾の議場占拠、収束の見通し |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-4-7|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/140407/chn14040721590007-n1.htm |accessdate=2014-4-8}}</ref>。
 
[[平成282016年]][[1月31日]]、立法院長退任。
 
=== 日本との関連 ===