「鄧小平」の版間の差分

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* 背が伸びなかったのは、フランス滞在中、満足に食事を取れなかった栄養不足からだと後年、語っていた。
* 鄧小平の言葉として「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という「白猫黒猫論」が有名であるが、これは四川省の古くからの諺である。実際に彼が言ったのは「白い猫」ではなく「黄色い猫」である。これは最も鄧が好んだ言葉であり、毛沢東が鄧を弾劾する際にその理由の一つとしている。
* 実子である[[鄧樸方]]は、[[北京大学]]在学中に[[文化大革命]]に巻き込まれ、[[紅衛兵]]に取り調べられている最中に窓から「転落」(紅衛兵により突き落とされたとする説もある。)脊髄を損傷し身体障害者になった。事実、紅衛兵によるこういった、あるいはその他の激しい暴行による傷害や殺人は多くあり、鄧小平自身も暴行を受けている)し、脊髄を損傷し身体障害者になった。鄧小平は午前は工場労働をし、午後は息子の介護をした。この経験からか、中華人民共和国内の[[障害者]]団体に関わっていたことがある。
* [[1974年]]の国連資源総会に出席した際、中国は過去も、現在も[[覇権]]を求めておらず、将来強大になっても[[覇権]]を求めないと演説した<ref> [http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zgbk/zzzd/t229337.htm 白書「中国の平和的発展の道」]</ref>。
* [[日本国]][[外務省]]の田島高志(元中国課長、カナダ大使)は、[[1978年]]8月の[[日中平和友好条約]]交渉において、鄧小平が[[ソ連]]を[[覇権主義]]と批判し、中国の反覇権を条約に明記するように主張していたと語る。その際に鄧小平が[[園田直]]外相に対し、「中国は、将来巨大になっても[[第三世界]]に属し、覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民とともに中国に反対すべきであり、[[近代化]]を実現したときには、[[社会主義]]を維持するか否かの問題が確実に出てこよう。他国を侵略、圧迫、搾取などすれば、中国は変質であり、社会主義ではない」と述べたという<ref>「鄧小平氏の教訓」、『読売新聞』2011年1月12日付論点。</ref>。同条約調印式の際は[[日米安全保障条約]]と[[自衛隊]]の軍事力増強を歓迎すると表明した<ref>[http://www.nids.go.jp/publication/briefing/pdf/2011/briefing_150.pdf 中国から見た日米同盟体制 - 防衛省防衛研究所]</ref>。