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[[File:Crowd outside nyse.jpg|thumb|1929年の大暴落の後で[[ウォール街]]に集まる群衆]]
'''ウォール街大暴落'''(ウォールがいだいぼうらく、Wall Street Crash<ref name="timesonline1">[http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/utilities/article553657.ece Pyramid structures brought down by Wall Street Crash] ''The Times''</ref><ref>[http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/liverpool/article584120.ece Role of 'new Tinkerman' tailor-made for Benitez] ''The Times''</ref>)は、[[1929年]]に発生した[[株価大暴落]]である。単に'''株価大暴落'''
== 概説 ==
この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。大暴落は1日の出来事ではなかった
経済学者や歴史家達は、この株価大暴落が、その後の経済、社会および政治の出来事にどのような役割を演じたかについて意見の一致をみていない。
1929年10月の大暴落は、アメリカ合衆国における不動産価格の低落時期(ピークは[[1925年]]だった)に来ており、[[先進国|工業化諸国]]における[[景気後退|経済後退]]時期である世界恐慌に導く一連の出来事の始まりに近い
== 大暴落以前 ==
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| isbn = 0-19-509514-6 }}</ref>。
ブラックチューズデーまでの数日間、市場は非常に不安定だった。売り先行と大量取引の間に短時間価格上昇と快復の期間がちりばめられた。経済学者で著作家のジュード・ワニスキーは
{{Quotation|1929年央に株を購入し持ち続けていた者は誰でも、株価が回復するまでにその成人してからの人生の大半を費やすことになった。|リチャード・M・サルスマン<ref name="salsman" />}}
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== 経過 ==
[[File:1930-67B.png|right|thumb|300px|大暴落直後の[[ニューヨーク証券取引所]]の[[立ち会い取引]]]]
ダウ工業株平均が6年間上がり続けて当初の5倍になり、1929年[[9月3日]]に最高値381.17を
株価はその後の1週間以上にわたって下げ幅の半分を回復したが、その直後にまた下落するだけだった。下げ基調は加速し、大暴落初日となった1929年10月24日の、いわゆるブラックサーズデーを迎えた。その日は当時の記録破りとなる1,290万株が取引された。
同日(24日)13時、ウォール街の幾人かの指導的銀行家が取引所での恐慌と混乱に対する解決策を見つけるために落ち合った<ref>''The Great Depression'', by Robert Goldston, pages 39-40</ref>。この会合には[[JPモルガン・チェース|モルガン銀行]]の頭取代行トマス・W・ラモン、チェイス国定銀行頭取のアルバート・ウィギン、および[[シティバンク、エヌ・エイ|国定ニューヨーク・シティバンク]]社長のチャールズ・E・ミッチェルが出ていた。彼らは取引所の副会頭リチャード・ホイットニーを彼らのために働く者として選出した。ホイットニーはその背後に控えた銀行家
市場が休みの週末、ウォール街のパニックがアメリカ合衆国中の新聞で報道された。週明けの28日(月曜日)、最初の「ブラックマンデー」<ref name="blogs1">[http://blogs.wsj.com/deals/2008/09/16/the-panic-of-2008-what-do-we-name-the-crisis/?mod=relevancy The Panic of 2008? What Do We Name the Crisis?] ''The Wall Street Journal''</ref>にはより多くの投資家が市場から引き上げ、その日のダウ工業株平均は13%下落するという記録的なものになり、再び大規模な株価崩壊が起こった。翌29日(火曜日)、壊滅的な株価崩壊が起こった「ブラックチューズデー」には約1,600万株が取引された<ref>{{Cite web|url=http://www.nyse.com/about/history/timeline_trading.html |title=NYSE, New York Stock Exchange > About Us > History > Timeline > Timeline |publisher=Nyse.com |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref><ref name="ref1">{{Cite web|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=94721470 |title=History's Advice During A Panic? Don't Panic : NPR |publisher=Npr.org |author=Linton Weeks |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/amex/crash/timeline/timeline2.html |title=American Experience | The Crash of 1929 | Timeline | PBS |publisher=Pbs.org |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref>。この日の取引高は[[1968年]]に破られるまで40年間近くも最高記録となっていた<ref name="ref1"/>。著作家のリチャード・M・サルスマンは、[[ハーバート・フーヴァー]]大統領が懸案の[[スムート・ホーリー関税法]]案に拒否権を発動しないという噂が飛び交っており29日に株価は
{| class="wikitable"
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一時的な底値は[[11月13日]]のことであり、ダウ工業株平均は198.60で終わった。市場はこの時点から数か月間回復し、[[1930年]][[4月17日]]には294.07という2番目の高値を
== 経済指標 ==
[[File:1929 wall street crash graph.svg|lang=ja|right|thumb|350px|[[ダウ平均株価|ダウ工業株平均]]の推移、1928年-1930年]]
[[1920年代]]後半に続いた[[投機]]ブームは数十万人のアメリカ人が株式市場に重点的に投資することに繋がり、少なからぬ者は株を買うために借金までするという状況下で市場崩壊が起こった。1929年8月までに株式仲介人
1929年10月24日(ダウ工業株平均は9月3日に最高値381.17を
1929年の大暴落を教訓として、世界中の株式市場は急速な下落の際には一時的に取引を停止する手段を決め、1929年の
== 大暴落は大恐慌に影響したか ==
1929年の大暴落と世界恐慌は、20世紀の「最大の財政危機」だったといえる<ref>[http://www.washingtontimes.com/news/2008/aug/11/paulson-affirms-bush-assessment/ Paulson affirms Bush assessment] ''The Washington Times''</ref>。
1929年10月の恐慌はその後の10年間世界を包んだ景気後退の象徴として機能した<ref name="nytimes1">{{Cite news |first=Albert |last=Scardino |authorlink= |coauthors= |title=The Market Turmoil: Past lessons, present advice; Did '29 Crash Spark The Depression? |url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DE4DC1F3BF932A15753C1A961948260 |work=New York Times |publisher= |date=1987-10-21 |accessdate= }}</ref>。{{要出典|範囲=1929年の株価大暴落は不安定な方向感覚の喪失とない合わさった恐怖を起こしたが、その衝撃は否定する心とともに急速に麻痺し、役人も大衆も妄想を抱いた|date=2017年5月}}」{{要出典|範囲=1929年10月24日と29日の株価暴落は、
1929年の暴落は狂騒の20年代を震撼させ終わらせた<ref>[http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article4795052.ece Kaboom!...and bust. The crash of 2008] ''The Times''</ref>。経済史家チャールズ・キンドルバーガーによって暫定的に表現されたように、1929年には効果的に存在する最後の頼みの綱となる貸し手が
大きな問題は1929年の大暴落が世界恐慌を引き起こしたのか<ref name="nytimes2">[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DE4DC1F3BF932A15753C1A961948260&sec=&spon=&pagewanted=2 The Market Turmoil: Past lessons, present advice; Did '29 Crash Spark The Depression?] ''The New York Times''</ref>、あるいは信用取引が加速したバブル経済の破綻と単に時期が一致しただけか、ということである。株価の下落は[[倒産]]や、事業閉鎖、労働者の首切りなど経済不況となることを含み、厳しい[[マクロ経済学|マクロ経済]]的困難さを引き起こした。その結果として起こった失業率の上昇や不況は大暴落の直接の結果であると
本当かどうかは別として、その後の経過はほとんどあらゆる人々にとって深刻なものだった。学会の専門家の大半は大暴落のある1面には同意している。すなわち、それは1日で巨万の富を消失させ、即座に消費者の購買意欲を削いだことである<ref name="nytimes2"/>。このことで世界中で合衆国正貨(すなわちドル)の取り付けを起こし、[[連邦準備制度]]は利率を上げて最悪の事態にせざるを得なかった。4,000ほどの貸し手が最終的に追い詰められた。また、直近の約定価格を上回る水準でなければ空売りできないこととするアップティックルール<ref>[http://www.ft.com/cms/s/0/0e317d72-86ac-11dd-959e-0000779fd18c.html Practice has plenty of historical precedents - Financial Times]</ref>が
多くの学会人は1929年の大暴落を一時的活況の新しい理論の一部である歴史プロセスの部分として見ている。[[ヨーゼフ・シュンペーター]]や[[ニコライ・コンドラチエフ]]
一方、[[ミルトン・フリードマン]]はアンナ・シュワルツとの共著
== 参考文献 ==
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* Brooks, John.(1969). ''Once in Golconda: A True Drama of Wall Street 1920-1938''. New York: Harper & Row. ISBN 0-393-01375-8.
* Galbraith, John Kenneth.(1954). ''The Great Crash: 1929''. Boston: Houghton Mifflin. ISBN 0-395-85999-9.
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* Klein, Maury.(2001). ''Rainbow's End: The Crash of 1929''. New York: Oxford University Press. ISBN 0-195-13516-4.
* Klingaman, William K.(1989). ''1929: The Year of the Great Crash''. New York: Harper & Row. ISBN 0-060-16081-0.
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