「カリビアンシリーズ」の版間の差分

 
=== 1960年大会まで ===
カリビアンシリーズは翌1950年以降、[[プエルトリコ]]の政庁所在地[[サンフアン (プエルトリコ)|サンフアン]]→[[ベネズエラ]]の首都[[カラカス]]→[[パナマ]]の首都[[パナマ市|パナマシティ]]→[[キューバ]]の首都[[ハバナ]]……と、CBPC加盟国・地域の首都で持ち回り開催された。この持ち回りは1960年まで3周・12年にわたり続いた。一方、[[:es:Serie Interamericana|セリエ・インテラメリカーナ]]はカリビアンシリーズ開始後も2年間継続したが、1950年の第5回大会を最後に終了した。セリエ・インテラメリカーナでは、[[ブルックリン・ブッシュウィックス]]が第1回から4連覇したのち、第5回はセルベセリア・カラカス(のちの[[レオネス・デル・カラカス]])が優勝した。しかしベネズエラ勢は、カリビアンシリーズでは12回の出場で一度も優勝できなかった<ref name="solmarga">Jesús Enrique Leal, "[http://www.elsoldemargarita.com.ve/posts/post/id:183205/Magallanes-de-estreno-en-1970 Magallanes de estreno en 1970]," ''[[:es:El Sol de Margarita|El Sol de Margarita]]'', 1 de febrero de 2019. 2019年3月24日閲覧。</ref>。この12年間で優勝回数が最も多かったのはキューバ勢で7回、次いでプエルトリコ勢が4回、パナマ勢が1回だった。
 
[[1950年のカリビアンシリーズ|1950年大会]]では、地元プエルトリコの[[クリオージョス・デ・カグアス]]とパナマの[[カルタ・ビエハ・ヤンキース]]が4勝2敗で並んだため、優勝決定戦の直接対決が急遽7日目に組まれた。その結果、ヤンキースが9-3で勝利し優勝を決めた。このとき、敗れたクリオージョスで[[選手兼任監督]]を務めていたのが[[ルイス・オルモ]]である。オルモはプエルトリコの[[ウィンターリーグ]] "[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ|リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコ]]"(LBPPR)において、1942-43シーズンに23歳で[[カングレヘーロス・デ・サントゥルセ]]の選手兼任監督となりシーズンMVPを受賞、1943年7月には[[プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧|プエルトリコ出身者では史上2人目のMLBデビュー]]も果たした<ref name="olmobiog">Rory Costello, "[https://sabr.org/bioproj/person/a26bda17 Luis Olmo]," ''Society for American Baseball Research'', 2017. 2019年3月24日閲覧。</ref>。しかし1946年、[[ダニー・ガーデラ]]らと同様に[[メキシカンリーグ]]移籍を選択したため、オーガナイズド・ベースボールから5年の追放処分を課された<ref name="mlbs1491" />。1949年に処分が解除されると、[[1949年のワールドシリーズ|同年10月のワールドシリーズ]]に出場して[[本塁打]]を放ち、終了後にはクリオージョスの選手兼任監督として4季ぶりにLBPPRへも復帰した<ref name="olmobiog" />。もし1949年6月の前倒し処分解除がなければ、オルモはこのシリーズへの出場はできなかったことになる。翌1950-51シーズン、オルモ率いるクリオージョスはカングレヘーロスに敗れて、LBPPR連覇とカリビアンシリーズ出場を逃す。それでも、カリビアンシリーズ出場球団は同リーグ他球団からの補強選手獲得が認められているため、オルモはカングレヘーロスの一員として[[1951年のカリビアンシリーズ|1951年大会]]に出場、[[打率]].417・3本塁打・9[[打点]]の活躍で優勝とともに[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|大会MVP]]を受賞した<ref name="olmobiog" />。
 
メキシコからは、"[[リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ]]"(LMP)優勝チームへカリビアンシリーズ出場権が与えられる。LMPは、[[メキシカンリーグ|夏季リーグ(メキシカンリーグ)]]とは別組織である<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、72-73頁。</ref>。LMPは1945年に "リーガ・デ・ラ・コスタ・デル・パシフィコ" として発足した。創設時の球団数は4で、球団本拠地は[[ソノラ州]]の[[エルモシージョ]]と[[グアイマス]]、[[シナロア州]]の[[クリアカン]]と[[マサトラン]]にあった<ref>Aarón Arguijo Gamiochipi, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/1301883.laguneros-han-dejado-su-brillo.html Laguneros han dejado su brillo]," ''[[:es:El Siglo de Torreón|El Siglo de Torreón]]'', 13 de enero de 2017. 2019年5月9日閲覧。</ref>。メキシコへの野球伝来ルートのひとつがこのあたりにあるとされ、グアイマスがメキシコ野球発祥の地を自認するなど、このあたりは野球人気が高い地方である<ref name="samuraij" />。その後、リーグ名は "パシフィコ"({{lang-es-short|Pacífico}}=[[太平洋]])という単語が外されて "リーガ・インベルナル・デ・ソノラ" や "リーガ・インベルナル・ソノラ=シナロア" など、[[メキシコの州|州]]名を入れた名称に変わった。1970-71シーズンより、CBPCの要請に応じてリーグ名をLMPとしたことで、カリビアンシリーズへの参入を認められた<ref>Sergio Luis Rosas, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/685936.el-reino-del-beisbol-mexicano.html El reino del béisbol mexicano]," ''El Siglo de Torreón'', 11 de diciembre de 2011. 2019年5月9日閲覧。</ref>。LMPの球団数は年々増加し、1970-71シーズンには発足時の倍の8にまで増えていたが、球団本拠地はいずれもソノラ州かシナロア州だった。
 
プエルトリコを除く3か国の初優勝は、ベネズエラ勢が1970年大会、ドミニカ共和国勢が1971年大会、そしてメキシコ勢が[[1976年のカリビアンシリーズ|1976年大会]]である。再開初年度の1970年大会はベネズエラの首都[[カラカス]]で開催され、開催国からは[[ナベガンテス・デル・マガジャネス]]が出場した。ナベガンテスは前季までカラカスを本拠地都市としたのち、1969-70シーズンから[[カラボボ州]][[バレンシア (ベネズエラ)|バレンシア]]へ移転していたため、今大会はカラカスへの凱旋でもあった<ref>[[AP通信|AP]], "[http://espndeportes.espn.com/noticias/nota?s=bei&id=964191&type=story Rivalidad enciende pasión]," ''ESPN Deportes'', 28 de enero de 2010. 2019年5月14日閲覧。</ref>。5勝1敗で迎えた第7戦は、逆転優勝の可能性を残すプエルトリコ代表[[レオネス・デ・ポンセ]]との直接対決で、相手に3度もリードを許しながらその都度追いついて延長11回に[[ガス・ギル]]の[[サヨナラゲーム|サヨナラ打]]で優勝を決めた<ref name="solmarga" />。一方、この大会で初出場のドミニカ共和国代表[[ティグレス・デル・リセイ]]は、[[選手兼任監督]][[マニー・モタ]]の下で1勝7敗の最下位に沈んだ。しかし翌年、ティグレスは再びモタを選手兼任監督に据えてカリビアンシリーズに出場し、今度は6戦全勝で初優勝を果たした。1971年大会でモタは優勝監督となっただけでなく、[[中堅手]]としても19打数11安打の[[打率]].579と活躍し、[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|大会MVP]]とベストナインを受賞した<ref>Gustavo Rodríguez, "[http://hoy.com.do/manny-mota-fue-el-heroe-del-primer-triunfo-de-rd-en-1971/ MANNY MOTA Fue el héroe del primer triunfo de RD en 1971]," ''[[:es:Hoy (República Dominicana)|Hoy Digital]]'', 31 de enero de 2017. 2019年5月14日閲覧。</ref>。メキシコ勢の初優勝は他国・地域から遅れた。[[ナランヘーロス・デ・エルモシージョ]]が優勝を決めたとき、開催地ドミニカ共和国[[サントドミンゴ]]の[[エスタディオ・シバオ]]は悪天候のため観衆はまばらだったが、監督の[[ベンハミン・レイエス]]は「『メキシコのレベルは他の大会出場国より劣っているのでは』などという疑いを、少なくとも我々は払拭しつつある。今大会では間違いなく我々の方が優れていたからだ」と胸を張った<ref>Redacción EL IMPARCIAL, "[https://www.elimparcial.com/sonora/deportelocal/1976-Los-Naranjeros-Conquistaron-el-Caribe-20170321-0156.html 1976: Los Naranjeros Conquistaron el Caribe]," ''[[:es:El Imparcial (periódico sonorense)|ELIMPARCIAL.COM]]'', 21 de Marzo de 2017. 2019年5月14日閲覧。</ref>。
 
1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる<ref name="cubarejoin">Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130611&content_id=50308048&c_id=mlb Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960]," ''MLB.com'', June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。</ref>。特に2006年3月、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]において[[野球キューバ代表|キューバ代表]]が準優勝の好成績を収めると、監督の[[イヒニオ・ベレス]]が「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった<ref>Guillermo Celis, "[http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2006/columns/story?id=2377453 Cuban skipper is loyal to flag, people, players]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。</ref>。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた<ref>"[https://www.elnuevodia.com/deportes/beisbol/nota/cubaregresariaalaseriedelcaribeenel2013-1294613/ Cuba regresaría a la Serie del Caribe en el 2013]," ''[[:es:El Nuevo Día (Puerto Rico)|El Nuevo Día]]'', 6 de julio de 2012. 2019年2月28日閲覧。</ref>。折衝の末に2013年6月、翌2014年の大会からキューバが復帰することが決まった<ref name="cubarejoin" />。
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