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'''長谷川 裕見子'''(はせがわ ゆみこ、本名;'''船越 琴子'''、[[1924年]][[12月8日]] - [[2010年]][[7月27日]])は、[[日本]]の[[俳優|女優]]。夫は[[船越英二]]
== 来歴・人物 ==
[[1924年]]、飯島まつの二女として誕生。旧制・白百合高等女学校(現・[[白百合女子大学]])を卒業した。祖父・飯島次郎は建設業で名をなした。
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[[長谷川一夫]]の[[姪]]<ref>長谷川一夫の後妻・繁の次姉まつが裕見子の母。2013年2月4日NHK総合[[ファミリーヒストリー]]による。</ref>にあたり、長谷川が主宰した劇団・映画会社[[新演伎座]]に所属した。映画デビュー作は長谷川主演、[[大曾根辰夫]]監督の「[[遊侠の群れ]]」(1948年)<ref>[[#外部リンク]]、「長谷川裕見子」、[[日本映画データベース]]、2009年11月18日閲覧。</ref><ref>「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」には「[[傷だらけの男]]」でデビューとあるが誤りである。「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」、[[マキノ雅弘]]、[[平凡社]]、1977年、p.225.</ref>。
[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけ、[[東映]]の時代劇映画で活躍
[[1958年]][[1月13日]]、第2回日本映画見本市に出席のため、[[城戸四郎]]([[松竹]]社長)、[[白川由美]]、[[宇治みさ子]]らと共に[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]へ出発。同年[[2月8日]]、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なニューヨーク訪問となった。
同年、俳優
女優としての最後の出演作品は、親友であった[[石井ふく子]]プロデュースによる東芝日曜劇場「一つだけのいのち」([[1974年]][[10月20日]]放送)。
その後は[[神奈川県]][[足柄下郡]][[湯河原町]]で長女
[[2010年]][[7月27日]]午前4時44分、[[肺癌#転移性肺腫瘍|転移性肺癌]]のため湯河原町の病院で
== 主な出演作品 ==
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