「ルイーズ・ド・マリヤック」の版間の差分

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|画像サイズ=160px
|画像コメント=
|称号=寡婦、共同創始者
|他言語表記=
|生誕地=[[フランス]]{{FRA987}}、[[オワーズ県|オワーズ]]、ル・ムー
|生誕年(日)=[[1591年]][[8月12日]]
|死去地=[[フランス]]{{FRA987}}、[[パリ]]
|死去年(日)=[[1660年]][[3月15日]]
|崇敬する教派=[[カトリック教会]]
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[[file:Louisedemarillac.jpg|right|thumb|200px|聖ルイーズ・ド・マリヤック]]
'''ルイーズ・ド・マリヤック'''('''Louise de Marillac''', [[1591年]][[8月12日]] - [[1660年]][[3月15日]])は、[[フランス]]の[[カトリック教会]]の[[修道士|修道女]]、[[聖人]]、[[聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会]]の共同創始者。
 
== 生涯 ==
ルイーズは、[[アルマン・ド・リシュリュー|リシュリュー]]政権下の法務大臣、ミシェル・ド・マリヤックの親戚の私生児として生まれた。3歳のころ、[[ポワシー]]の[[ドミニコ会]]女子修道院に預けられた。その修道院に所属する大叔母に当たる修道女らによって育てられ、キリスト教としての信仰を身につけた。13歳を迎え彼女はパリの子女を教育する施設に移り、修道女への召命を抱くようになる。ルイーズは[[カプチン・フランシスコ修道会|カプチン会]](フランシスコ会系の修道会)への入会を希望していたが健康の理由によって断られ、彼女は親戚の取り決めによって、財務大臣秘書アントワーヌ・ル・グラと結婚し1男を儲けた。しかし、ルイーズの心は晴れなかった。