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農村の代わりにフットボールをレクリエーションとして受け入れ近代的な「スポーツ」として成立させたのがイングランドにおける[[パブリックスクール]]である。パブリックスクールでも当初は農村での遊びに近い形態で行われていたが、パブリックスクールは紳士を育成するためのものであるため、乱暴なプレーは禁止され、次第に子弟教育の一環のスポーツとして体裁が整えられて行った<ref name="JFA130919"/>。この時点でのフットボールは学校毎にルールが異なり、他校との試合の際はその都度ルール調整のための話し合いが持たれていた。しかし、これでは手間もかかる上、ルールに対する理解に齟齬を来たすため、しばしばルール統一を目指した協議が行われた。そのため共通ルールが1846年ケンブリッジ大学で立案された([[ケンブリッジルール]])。これが現在のサッカーのルールの基になった<ref name="autogenerated1"/>。
 
こうして1850年代までには[[イートン・カレッジ]]を中心とする「手を使うことを制限するルール」と、[[ラグビー校]]を中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力に収束していったが、両者の間には依然として大きな隔たりがあった。長きにわたる対立を解消しようと、[[1863年]][[10月26日]]に[[イギリス]]の[[ロンドン]]にある居酒屋フリーメイソンズ・タバーンに、[[ロンドン]]の12(11とする資料もある)のクラブが[[フットボール・アソシエーション|フットボール協会]]を設立するために集まり、最終的なルール統一を目指した協議が開催された。参加したクラブは、バーンズ、ブラックヒース(後に脱退)、ブラックヒース・スクール、クルセーダーズ、クリスタル・パレス、フォレスト、ケンジントン・スクール、ノー・ネイムズ、パーシバル・ハウス、サーピトンなどである。この内、一部のクラブの代表は、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手にハッキング(すねをけること)、トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)およびホールディング(おさえること)を行うことが認められなくなったことに合意できず、この協議は物別れに終わった。ラグビー校の代表およびブラックヒースが席を立ち、遂に2つの競技(サッカーと[[ラグビー]])の決別が図られた。これこそがサッカー誕生の瞬間であった。「手を使うことを制限する」ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによって、[[フットボール・アソシエーション]](''Football Association'' 略称FA)が設立され、こうしたフットボールを協会式フットボール ''Association Football'' と呼ぶようになった。その省略形 soc に「人」を意味する -er をつけたものが soccer の語源であり、1880年代頃から使われているといわれている。その後、[[1863年]][[12月8日]]までに6回の会合を持って、この日14条から成る世界で最初のサッカー統一ルールが誕生した([[サッカー競技規則#1863年の規則]])<ref name="フットボールの社会史 ">{{Cite book|和書|author=[[F・P・マグーンJr]]|year=1985|title=フットボールの社会史|volume=|publisher=[[岩波書店]]}}</ref>。このサッカー統一ルールでの世界初の試合(つまり世界初のサッカーの試合)は、[[1863年]][[12月19日]]にイングランドで行われたリッチモンド対バーンズ戦で、0-0の引き分けだった<ref name="autogenerated1"/>。ただし、サッカーが誕生した初期の頃は、ボールを手でキャッチすること([[フェアキャッチ]])などは認められており、サッカーとラグビーには現在ほど大きな差はなかった。
 
また、1850年代は英語圏でパブリックスクールや大学との繋りを持たない多くのクラブが設立され、様々なルールでフットボールをプレーしていた。その内の1つの北部のクラブである[[シェフィールドFC]]は[[シェフィールド・ルール]]を定め、このルールは北部地域ではサッカーよりも人気を博していた。シェフィールド・ルールでは[[コーナーキック]]や[[スローイン]](FAのルールではラグビーの[[ラインアウト]]のように直角に投げ入れる必要があった)、クロスバーが考案され、また[[フェアキャッチ]]を廃止したことにより[[ヘディング]]の技術が発展した。サッカーはこれらの要素を取り込みつつ、最終的に1877年にはFAのルールとシェフィールド・ルールが統一された。ゴールキーパーのポジションは1871年に導入された。
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なお、FAから去ったラグビー派は、1871年に[[ラグビー・フットボール・ユニオン|ラグビーフットボール協会]]を設立した。
 
サッカーはボール以外に特に重要な道具を必要とせず、ルールも単純なため、[[先進国]]のみならず経済水準や教育水準が低い国に至るまで広く普及している。11人でチームを作りグラウンドの上でプレーするという形態以外にも、様々な姿に形を変え、[[ラテンアメリカ]]や[[ヨーロッパ]]を中心に老若男女を問わず、世界中のあらゆる地域でプレーされている。世界中のほとんどの国でナショナルチームが組織されていることはその現われの一つである。母数が多いため、純粋な統計を調べることは難しいが、競技人口および国際的な認識が最も高いスポーツの一つであるといえる。FIFAには2016年5月13日時点で全世界211の国と地域のサッカー協会が加盟しており(国だけでなく地域が加盟の理由は[[国際サッカー連盟|FIFA]]参照)<ref>[http://www.fifa.com/about-fifa/news/y=2017/m=3/news=66th-fifa-congress-zurich-2016-2878197.html 66th FIFA Congress, Mexico City 2016-FIFA公式HP2016年5月13日]</ref>、この他にもFIFA未加盟のサッカー協会が複数存在する([[NF-Board]]参照)。競技人口は2006年時点で2億6500万人以上(FIFA加盟の各国サッカー協会に登録料を支払い登録している選手の合計)で、競技人口に審判や競技役員も合わせたサッカー競技活動従事者は2億7千万人以上と[[国際サッカー連盟|国際サッカー連盟(FIFA)]]は発表している<ref name="サッカー人口調査">[https://www.fifa.com/mm/document/fifafacts/bcoffsurv/bigcount.statspackage_7024.pdf FIFA Big Count 2006: 270 million people active in football-FIFA公式HP2007年5月31日]</ref>。2006年時点の各国別の競技人口ランキングも、FIFA公式HPで閲覧することが出来る(但し、2006年時点でのFIFA加盟協会のみ。All Playersは各協会未登録者も合わせた競技人口、Registered playersは各協会登録競技者人口、Unregistered Playersが各協会未登録競技人口、Clubsがクラブ数、Officialsが競技役員総数)<ref name="サッカー人口調査" /><ref>[http://www.fifa.com/mm/document/fifafacts/bcoffsurv/statsumrepassoc%5f10342.pdf Big Count 2006 Statistical Summary Report by Association-FIFA公式HP2007年7月3日]</ref>。
=== サッカーの伝播 ===
[[ファイル:Fußballgeschichte (1872).jpg|200px|right|thumb|1872年、[[イングランド]]と[[スコットランド]]の間で行われた世界初の公式国際試合(当時の新聞の挿絵)]]
 
イングランドのパブリックスクールで始められたサッカーは、パブリックスクールのOBを中心に早い段階から[[イギリス]]各地域([[スコットランド]]、[[ウェールズ]]、[[アイルランド島|アイルランド]])に広まっていった。[[1870年]]3月5日、[[ロンドン]]のケニントン・オーヴァルで「非公式」ながら、世界初の国際試合が[[サッカーイングランド代表|イングランド]]と[[サッカースコットランド代表|スコットランド]]の間で行われ、1-1の引き分けに終わった<ref name="autogenerated1"/>。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画した[[フットボール・アソシエーション|イングランドサッカー協会]] (FA) 第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、オールコックの国際試合と呼ばれている。[[1872年]]11月30日に、グラスゴウのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の“公式”国際試合が、イングランドとスコットランドの間で実施された。スコアは0-0の引き分けだった<ref name="autogenerated1"/>。その後1880年代までに、[[スコットランドサッカー協会|スコットランド]]、[[ウェールズサッカー協会|ウェールズ]]、[[アイリッシュ・フットボール・アソシエーション|アイルランド]]ではサッカー協会が結成された。19世紀後半のイギリスは世界中のあらゆる場所に進出する[[大英帝国]]であったので、サッカーが世界中に伝播されるのに非常に都合がよかった。サッカーは最初海外に進出するイギリス人が駐在先でプレーしたことによって伝えられた。1880年代末までには、[[ベルギー]]、[[スイス]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]といった西ヨーロッパ、中部ヨーロッパ、1890年代末までには東ヨーロッパや南米に、20世紀初頭にはアジア地域にも伝播した。
 
1863年イングランドで近代サッカー(現代のサッカー)が誕生した時からイングランドは[[ロングボール]]戦法だった。イングランドに勝てなかったスコットランドは、1867年にショートパス戦法を考案。スコットランドはショートパス戦法確立後、1872年-1882年の10年間で、イングランドに対し、7勝2敗2分け得点39失点31試合平均得点3.55平均失点1.91と大きく勝ち越した。この2つの戦法が、近代サッカー(現代のサッカー)伝来と同時か時を経て各国に伝播されていき、各国のサッカー戦術の源流となった。
 
各国でいつ、どのようにサッカーが伝播し受容されていったかについては各国のサッカーの項目にある歴史の項を参照されたい。
 
=== サッカー大会の開始 ===
イングランドでは、1872年に最初のサッカー大会となる[[FAカップ]]が開始された。これは他の多くの国、地域でのカップ戦のモデルになっている。FAカップでは最初はアマチュアクラブや、大学チームが活躍していたが、1880年代に入ると、生活保障を受けるプロフェッショナルプレーヤーが誕生しこれを主体としたクラブが上位を占めるようになった。こうした国内強豪クラブを集めて実施されたのが[[1888年]]から始まった[[フットボールリーグ]]である。これはサッカーでは最初のリーグ戦であり、多くの国、地域が自国のリーグ戦のモデルとしている。
 
=== プロフェッショナルの誕生と産業化 ===
20世紀初頭までにイングランドでは完全にプロフェッショナルが主体となり、他の国、地域でもこれに追随した。アマチュアとプロフェッショナルの間で多少の軋轢があり、時期的な違いが見られるものの、当時強豪国と呼ばれていた国・地域のほとんどは1920年代までにプロフェッショナルへの移行を果たしている。
 
プロフェッショナルとなった彼等に払われるサラリーは当初ごく僅かなものであり、これは[[パブ]]仲間内で出し合ったお金で遣り繰りすることは可能であった。次第に選手へのサラリーが増大し、高額な移籍金で選手を集めるクラブが出現し始めると小額の資本でクラブを運営していくことは難しくなり、クラブの運営はより大きな資本を持つ者の手にゆだねられるようになった。最初は企業家、商人、医師といった地元の名士が名乗りを上げたが、1920年代以降になると次第にもっと大きな資本がクラブの運営に手を出すようになってきた。[[フィアット]]の資本的後援を受けた[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]や、[[フィリップス]]の後援を受けた[[PSVアイントホーフェン]]などはその一例である。
 
=== 国際大会 ===
サッカーで最初の国際大会は、[[オリンピックのサッカー競技]]であった。[[オリンピック公開競技|公開競技]]としては第一回のアテネオリンピックから行われており、[[1908年ロンドンオリンピック]]で公式競技として採用された。
 
オリンピックのシステムとサッカーのそれは互いに矛盾する点が幾つか見られた。前述の通り1920年代までに強豪国のほとんどが[[プロフェッショナル (サッカー)|プロフェッショナル]]への移行を果たしていたが、[[オリンピック憲章|五輪憲章]]で[[アマチュア]]条項が規定された[[オリンピックのサッカー競技]]では最強のナショナルチームを結成することは不可能であった。[[1904年]]に結成された[[国際サッカー連盟]](FIFA)は、[[1930年]]から[[アマチュア]]も[[プロフェッショナル (サッカー)|プロフェッショナル]]も出場可能な真のサッカー代表世界王者を決める大会として[[FIFAワールドカップ]]を開始した。なお、「ワールドカップ」という名称を最初に用いたのはサッカーである。以降アマチュアのオリンピックは急速に興味を失われていくことになる。なおオリンピックサッカー競技はその後、[[1984年ロサンゼルスオリンピック|1984年のロサンゼルス五輪]]によるプロ参加の容認([[オリンピック憲章|五輪憲章]]の[[アマチュア]]条項自体は、このロサンゼルス五輪より10年前の[[1974年]]の第75回[[国際オリンピック委員会総会|IOC総会]]で削除<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/special/monogatari/mo2004012401.htm オリンピック物語第五部 アマとプロ〈4〉読売新聞-2004年1月24日付]{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>)などの制度の変遷を経て、[[1992年バルセロナオリンピックのサッカー競技|1992年バルセロナ大会]]以降は男子に関しては「23歳以下の選手による大会」という性格を得るに至っている(詳細は[[オリンピックのサッカー競技]]の記事を参照)。なお、女子は[[1996年アトランタオリンピックのサッカー競技|1996年アトランタ五輪]]から五輪競技に採用され、採用時から現在まで女子A代表(年齢制限なしのその国最強の代表)の大会となっている。同じく女子A代表の[[FIFA女子ワールドカップ]]は1991年から開催されている。
 
また、{{要出典範囲|date=2017年3月|スキャモンの発達曲線から区分された育成年代のサッカー選手の各発達段階<ref>[http://megalodon.jp/2012-0611-1802-10/www5e.biglobe.ne.jp/~ks0717/knowledge_018.htm 発育発達から見たゴールデンエイジの概念]</ref>に国際経験を積むことで、更なる成長を促すという目的で}}各年代別世界大会が男女とも開催されている。男子は1977年に開始されたFIFAワールドユース選手権(現[[FIFA U-20ワールドカップ]])、女子は2002年に開始された[[FIFA U-20女子ワールドカップ]]が最初に開始されたFIFAの年代別世界大会である。
 
[[第二次世界大戦]]後には各大陸連盟が設立され、これらの下で大陸別選手権(例:アジアでは[[AFCアジアカップ]])が開催されるようになった。また同時に、各大陸連盟はクラブチームによる大陸別選手権(例:アジアではアジアクラブ選手権〔現[[AFCチャンピオンズリーグ]]〕)も実施した。ただしクラブチームによる世界選手権、[[FIFAクラブワールドカップ]]が創設されるのは21世紀を待たなければならなかった。
 
== 現在のサッカー ==
[[ファイル:Football world popularity.png|thumb|350px|国別のサッカーの人気度(2001年)。緑はサッカーがもっとも人気のあるスポーツである国、赤はそうでない国。色が濃いほど1000人当りの競技人口が多いことを示す。]]
 
サッカーはボール以外に特に重要な道具を必要とせず、ルールも単純なため、[[先進国]]のみならず経済水準や教育水準が低い国に至るまで広く普及している。11人でチームを作りグラウンドの上でプレーするという形態以外にも、様々な姿に形を変え、[[ラテンアメリカ]]や[[ヨーロッパ]]を中心に老若男女を問わず、世界中のあらゆる地域でプレーされている。世界中のほとんどの国でナショナルチームが組織されていることはその現われの一つである。母数が多いため、純粋な統計を調べることは難しいが、競技人口および国際的な認識が最も高いスポーツの一つであるといえる。FIFAには2016年5月13日時点で全世界211の国と地域のサッカー協会が加盟しており(国だけでなく地域が加盟の理由は[[国際サッカー連盟|FIFA]]参照)<ref>[http://www.fifa.com/about-fifa/news/y=2017/m=3/news=66th-fifa-congress-zurich-2016-2878197.html 66th FIFA Congress, Mexico City 2016-FIFA公式HP2016年5月13日]</ref>、この他にもFIFA未加盟のサッカー協会が複数存在する([[NF-Board]]参照)。競技人口は2006年時点で2億6500万人以上(FIFA加盟の各国サッカー協会に登録料を支払い登録している選手の合計)で、競技人口に審判や競技役員も合わせたサッカー競技活動従事者は2億7千万人以上と[[国際サッカー連盟|国際サッカー連盟(FIFA)]]は発表している<ref name="サッカー人口調査">[https://www.fifa.com/mm/document/fifafacts/bcoffsurv/bigcount.statspackage_7024.pdf FIFA Big Count 2006: 270 million people active in football-FIFA公式HP2007年5月31日]</ref>。2006年時点の各国別の競技人口ランキングも、FIFA公式HPで閲覧することが出来る(但し、2006年時点でのFIFA加盟協会のみ。All Playersは各協会未登録者も合わせた競技人口、Registered playersは各協会登録競技者人口、Unregistered Playersが各協会未登録競技人口、Clubsがクラブ数、Officialsが競技役員総数)<ref name="サッカー人口調査"/><ref>[http://www.fifa.com/mm/document/fifafacts/bcoffsurv/statsumrepassoc%5f10342.pdf Big Count 2006 Statistical Summary Report by Association-FIFA公式HP2007年7月3日]</ref>。
 
== 様々なサッカー ==